“いいね!”的な喜びは行きずりナンパのようなもの
―ナンパ実況をしてエクスタシスを得ようとしてはいないんですか?
宮台:いや、それは違います。ナンパ実況って文章を書くんですよ。
しかも“いいね!”的なリアクションが得られるようにアピールするんですよ。俺はすごいでしょ! みたいな。そんなものは、エクスタシス(脱自)どころじゃないじゃありませんか。
いわゆるナンパ師を気取っていても、昨今はそういう輩が大半なんですよ。
そんなのは、〈後半プロセス〉を享受できないという点で意味がないし、〈後半プロセス〉へのシフトを妨げるという意味では、本人にとっても相手にとっても有害です。
―それは、ストイックさというか、男らしさがないとそうなってしまうんでしょうか。
宮台:ナンパが前回述べた「欠落の埋め合わせ」に過ぎないという意味でそうです。
だから意識が相手の状態でなく、自分の状態に向いています。
せいぜい自己満足的な「質問」に淫するばかりで、相手の状態を自分の中で再現する「内観」から遠い。
こうした「内観」があれば、相手の快楽が自分に感染し、自分の快楽が相手に感染します。
相手を快楽に向けて操縦する操作的意識でなく、自分の中に再現された相手の快楽という自分の快楽をレッドゾーンにまで高める酩酊的意識になります。
〈行きずりナンパから、瞬間恋愛へ〉〈内在系から、超越系へ〉〈通常意識から、変性意識へ〉〈操作的意識から、酩酊的意識〉へ。
“いいね!”的なものは、これら二項図式のうち、いつも前者しか意味しません。そんなナンパに意味はありません。
第1回の記事はこちら→宮台真司インタビュー「自分はイケてるぞアピールからは腐臭がただよう…“見るに耐えない”コミュニケーション 」
第2回の記事はこちら→宮台真司インタビュー「クソアピールをやめることができないクレージークレーマー層の“認められていない”感」
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Text/AM編集部