権利とは?

 僕の知る限り権利の国、フランスでは「権利は国が与えてくれるもの」ではなく、そもそも「どんな人間にも平等に備わっているもの」という思想の下に出来上がっています。すべての人間にもともと「備わっている」もの。なので、子どもにももちろんあります。以前フランスの法学者ピエール・クーヴラ氏が北海道大学のシンポジウムでこんなことを言っていて驚いた覚えがあります。

 「フランスの教育機関では教師が生徒を評価する会議に、生徒の代表が出席することを認めている」

 フランスの法下でも、もちろん18歳未満は“無能者”です。権利を行使する能力を持たないので、何事も保護者の後ろ盾が必要です。でも、それは子どもが「権利を持たない」ことを意味するのではなく、「誰か能力者を使って代わりに行使させることが可能」であることを意味します。そのため、権利を行使して利益を得ることができる成年者がいる場に自分たちの意見を反映さえることで、利益を得ることができるのならば、それは当然のことであると、社会が認めているということ。

 女性もそれと同様で男女の権利に関する平等の発端になったとされる、かの有名なオランプ・ドゥ・グージュが書いた1791年「女性の権利宣言」には、「女権宣言」(女権という訳はいまいちイケてないような気がしますが)第1条にこう書いてあります。

 ―第1条 女性は、自由なものとして生まれ、かつ、権利において男性と平等なものとして存在する。[辻村みよ子訳]

 フランス革命後、1789年に採択され、1791年憲法の基礎になった「人権宣言」とよく似たものになっているのですが、人間・男=hommeに女性=femmeも入れろと主張した作家であり脚本家であり活動家であった彼女。「人権宣言」という女性を排除した「権利」に真っ向から対抗し、男性社会に「女性にも権利を下さい」ではなく「女性にも権利はあるんだから権利の枠の中に入ってると認めろ」と要求する姿勢から始まっている200年以上前の彼女の女性運動は、今でも権利研究では重要な位置づけになっています。

 日本はそもそも現在の権利感覚からして、戦後占領していたアメリカ人がアメリカ人らしい占領型トップダウン思想で洗脳された過去をもつ国らしく、お上からもらうものという考え方が染みついているように思えます。まるで、権利には一定の量があって、ケーキのように親から分け与えてもらうものとでも言うかのように。

 これは別の男性(というか親戚の叔父)ですが東北から出てきて一人で仕事を頑張っていて、親に仕送りもして家まで建ててあげてこう言うのです。「ひとりで東京で働くことを決めてしまって勝手にひとりで生活しているから、親の世話をしてあげられないし、せめて金だけでも……」
 「勝手に」ってなんですか、「勝手に」って。君がどこで暮らそうと自由じゃないですか。どこで暮らそうと、誰にも文句いわれることないし、親の許しがないと親から離れて生活もしてはいけず、親の世話をしないことが親不孝だと思わせる親のほうがずっとあくどいと思いますが、なぜそれんな真っ黒な思想をそんなにすんなり内在化して受け止めてしまうのか、訳が分かりません(もちろん、これも口に出したとも。コノ、締まりも節操もない口めっ!)。
 何か行動する自由。何かをする理由。それら権利とはまず親に分け与えてもらい、社会人になってからはお役人やら政治家やらに授けてもらい、結婚しては夫に許してもらう。まるで一定の量があって「すでに持っている(人間の)権力者から譲ってもらうもの」であるかのようです。


 日本とフランスにはどこに差があるのでしょうか? さあみんなで考えよ~(逸見さん、懐かしい)と、実際には自分の脳内だけで孤独に約30秒考えてみたところ、そこには「超越的存在」の有無があります。フランスに限らずですが、キリストをひとりの人間に貶める前のキリスト教、カトリックが蔓延した世界では人間のはるか上にいる「絶対神」の存在があります。基本的に「権利」や「人権」とは人間が人間に与えたり奪ったりできるものではなく、全て「人間以上」の場所から授けられたもの。「権利」とは人間を超えた崇高な存在。だからこそ「全ての人間に平等」。人間はみんな「権利」の前には平等なのです(もちろん、権利を使う枠組みをどこでどう区切るかは、論争になりますが)。

 そのため、「男になくて女にない権利」に関しては、男性に譲歩してもらったり、理解をしめしてもらうことで手に入れるものではなく、「そもそも持ってるものをお前らが使わないようにさせているだけなんだから、堂々と今後は使わせてもらおうじゃないの!」と、持っているものを行使する感覚で、求めている。そのため、「強く」見えるかもしれませんが、誰かに与えてもらうのを待っている日本人女性は、結局「人頼り」にして自分で努力することを怠っているとも言えます。

 日本の「権利」はあくまで、人間のもので人間がどうこうできるもの。その国がどう人間の権利に関して指針を示していくかは、その国民の自由ですが、いわゆる「グローバル」を目指すならグローバル基準をとらえておくべきかとは思います。なんでもヨーロッパの思想が“よろしい”わけではないので、そうでないならそうでないでいい。ただ、そこで知らず知らずに権利を「譲って」もらえず、「要求」するのも「おこがましい」と考えてしまい、大変な苦労を背負ってしまって、男女間で「苦労の差」が生まれてしまうのは、なんとかするべきじゃないかなと、居酒屋・笑笑で考えてしまったのですが、こんなことを言ったら完全に「変な人」になる。説明するにも時間がかかるし。結局最後は口を閉ざしてしまいました。ああ、無情。

 そういえばオランプ・ドゥ・グージュは男の政治家にも、一般庶民の女性たちにも疎まれて最後はギロチンで処刑されたんだった。妊娠もしていたらしいのにそれすら無視されて。きっと「旦那に許されて産後復帰した女性」に「大変だよね~旦那って」みたいな当たり障りのない共感をしてあげた方がきっと数段好意的に受け止めてもらえたんだろうな、これ以上言ってもきっとおフランスにかぶれて~るざ~ますねと思われちゃうのも恥ずかしいし、黙っていて正解なんだろうなと……約10秒落ち込みましたが、別に自分はそんな男性を旦那にするつもりも可能性も全然ないし、100パー無理なのですぐに立ち直り、翌日の二日酔いのことを心配しました。やはり日本酒とワインをちゃんぽんしてはいけません。「ウコンの力」飲んでおけばよかった…orz

Text/Keiichi Koyama