フランスでは、性に年齢は関係なし
シャーロット・ランプリングが老いた裸身を見せる映画『まぼろし』でもそうでしたが、老齢の女性のセックスが仏映画の中で描かれていることが多いです。長寿刑事ドラマ(放送開始20年!)「ジュリー・レスコー」は2人の娘の母でもある女刑事が主人公で、体型もけっこうでっぷりしていて、弘兼憲史の漫画に出てくる女性風に太っていたり、中年だったりなのですが、ちゃんと恋人とのイチャイチャシーンが出てきます。
日本だったら「そんなもん見せるな」など視聴者センターにクレームがきそうです。「見たくないから見せるな」とはなんともすごい意見で、「見たくないならあなたがご覧にならなければいいだけでは?」と小学生でも正論語れるくらいおバカな陳情ですが、実はそういうクレームが多いそうです(某キー局P談)。
で、日仏の放送状況の何が違うかと言うと「リアリティ」です。とにかくフランス人は「リアル」が好き。超がつくほど現実主義のフランス人女性たちは「こんな女いるわけねーじゃん」「みんながみんな美人の世界なんて、あるわけねーだろ!」と、たとえスクリーンの中であっても「人工的に作られた感」が嫌い。
『ヘルタースケルター』で「見たいものを見せてあげる」がキャッチコピーになっていましたが、あれこそ非現実で「見られるものが見えていない世界」。あの映画は“ファンタジー”なのでいいのですが、リアルに描いていたらきっと「見られる(はずの)ものが全然見えてない!」とクレームがくることでしょう(妄想)。
一方、ハリウッドでは?
フランスの雑誌のハリウッド映画評でよく見る批判的キーワードは、「artificiel」。人工的で不自然。作られ過ぎていて現実味がない。確かに、よーく見ると男女比おかしいし、年齢層おかしいし、人種の比率も不自然。そこにセックスの問題も入っていて、セックスシーンにおける熟年層の存在がまったくと言っていいほどありません。
最近ようやく熟年セックスについて取り上げた映画(メリル・ストリープ主演『Hope Spring』、エマ・トンプソン主演『Last Chance Harvey』『Love Punch(←こちらは英国もの)』)が立て続けに話題になり、Independent誌がそれを取り上げていたのですが、その文章はこう毒づいてます。
「ハリウッドでは、30才を過ぎた女性はセックスをしないかのように思われる……60過ぎたらもうそれはタブー」
強烈な皮肉です。例え女優本人が30才を過ぎていても、年齢設定が20代にしてあったりと具体的に年齢を操作する場合もあれば、年齢を経た女性のセックスを「健全」と描かなかったり(たとえばものすごく年下の男性を捕まえる特殊な例として描いたり、不倫やセクハラに絡めたり)と、熟女が肉体関係を謳歌しているといけないかのように、年齢を経た後の性が排除されています。
んなわけねーだろ、バーカ。ディズニー映画じゃあるめーし。
コレがフランス人の大まかな本音、とは言い過ぎですが、あるはずのものがないのが嫌い。
フランス人女性は、女性にだって性欲はあるし、年齢を経れば性欲もなくなるわけでもなければ、むしろ増すこともあるし、結婚した後に恋しないなんてことあるわけないし、もちろん40過ぎたって50過ぎたって60過ぎたってセックスしたい人はしたいし、そうそう世の中の期待に沿うように女性の性ができていないことを、よく知っていて、それを隠すことはむしろ「不自然」と感じる人が、日本と比べて圧倒的に(割合として)多い。
戦後アメリカの教育を受けてきた日本では、ハリウッド同様まだまだ「熟女のセックス」を揶揄したり、否定したりする言動が許されています。許されているということは、それを否定する意見を受け入れている当事者が多いと言うこと。
WASP的ファンタジーとも言える女性の“性の一生”から、そろそろ女性自身が解放されてもいいのではないかと思います。「生涯現役」というキャッチコピーは、精力剤をひっそり購入するオッサン(ウップス)たちだけの専売特許ではありません。いつまで性を謳歌するかは、その人の自由。ライフスタイルの選択肢を増やす点でも、“熟女のセックス”、「見たくないから見せるな」で片付けるのはそろそろやめにするときが来ているような気がします。
Text/Keiichi Koyama