階級社会のフランスで生きていくには

フランス社会の階級

PATRICK HELLMANN COLECTION Haute Couture By Menachim CZertok PATRICK HELLMANN COLECTION Haute Couture By Menachim CZertok

 フランスに住む日本女性の有名人といえば、中○美穂、○宮塔子、中村○子あたりかと思われますが、この人たちと一線を画すのが「ゴクミ」と呼ばれるのを嫌がっているらしい芯のある元女優、後藤久美子氏。
何故かと言えば、彼女だけが「階級」を飛び越えているから。
日本人同士で結婚して「パリの外国人」になるのは、よくあること。
中流階層のほどほどに豊かなフランス人と結婚して「日本人妻」になるのも、よくある話です。
が、ゴクミの場合、大金持ちのアレジ家に入り込んだ、この一点で他とは違います。これは、アジア人女性というフランス社会において階級の下にいる人間が、ヒエラルキーを斜めに上る行為。相当珍しいことです。

が、そんなゴクミですらおそらく何の契約もしていない事実婚なので、階級社会の見えない天井にをブレイクスルーしているとは言い切れません。

 フランスは共和制の名の下、全ての人が平等であり、あらゆる人に権利が平等にあることを掲げている国ですが、そこは貴族が支配していた(今もしている)お国柄。
見えない天井はハッキリと存在します。
18区や19区など治安が悪いとされる地域には、16区に住むような上流階級の人間がわざわざ入るようなことはしませんし、多分旅行に行った際に気づいた方もいるかと思いますが、レストランに行けば高級であればるほどアジア人の優先順位は最後。注文を取りに来るのも、出すのもものすごく遅くなる。
就職時書類審査は名前だけで落とされることもあります。苗字はルーツを表すので、移民だということがわかれば黙って落とされることも。
「階級」はお金を持っている持っていないの問題ではなく、「ステータス」つまり「出自」の問題なので、自分の力で上ろうにもそうやすやすと上っていけない。
(このように自分ではどうしようもできない出自の問題が厳然と広がっているからこそ、差別に対する意識や、人権意識が高いのかもしれないと思うと複雑な気持ち。。。

階級を飛び越える道は「結婚」か「アート」

 そんなあからさまな階級差別が現存する社会をサヴァイヴするためには、階級を乗り越えてまで必要とされる技術や知識や特殊能力を携える必要があります。
その最も近道が、「アート」です。
絵画、音楽、写真、バレエ、映画、演劇、ファッション……あらゆる芸術は、階級をひととびに飛び越えることができるのです。
頭角を現した人は、出自がどうであろうと上の階級に入りこむことができる。そのため、フランスのコンセルヴァトワール(高等芸術専門校)には、世界中から志願者がやってきて、一流の芸術家を生み出しています(とはいえそこにもまた差別はあるのですが)。

 じゃあ、スポーツもか、というとスポーツは競技が階級で分かれていて、サッカーは×。
サッカーは低所得者や労働者のためのもので、上流階級の人々は見るのも嫌がる場合も。
テニスやフェンシング、もしくはゴクミの夫アレジ氏のようにF1など活躍すると、飛び越えることができます。
が、そもそもこれらのスポーツ、お金がないとトレーニング自体ができないので、階級をひととびする手段としては比較的難しい。もちろん、レイモン・コパ並みの受勲レベルまで行けばどうか知りませんが。

 やはり、アートが一番の近道です。
そのため、芸術家に対しての扱いは日本より高いものがあり、労働許可も芸術家は比較的取りやすいと言われています。

 芸術か、階級上位者との結婚。
これによって女性が階級を斜めに上る行為が、如何に戦略的で如何に大事か。現実的な女性は、階級の違いによる様々な障害を見据え、同じ階級の相手を選びます。そもそも、階級の違いは、根本的な価値観の違いですから。
上昇志向の強い女性は、そこに利用価値を見出します。

 フランスは愛の国。
でも、その「愛」とやらは、前提として「階級」をどう見つめるのかを考えた上に成り立っているため、多少平均的な日本人の恋愛よりも複雑なものになるのかもしれません。
フランスの国是「自由、平等、友愛」の「友愛=fraternité」は「階級を超える兄弟姉妹としての愛」という意味。
国民全体に広めるべき友愛のあり方も、「さあ、みんなで『階級』をとび越えて愛し合おうぜ!」という意気込みから始まっているのです。
「階級」への視点なしに、フランスの「愛」は語れません。

 日本では東京あたりにいるとそこそこフラットな社会なので、なかなかそのあたりの「階級感覚」に気付けませんが、このあり方は神戸や大阪出身の女性には理解しやすいかもしれません。
神戸や大阪出身の女性としばらく話すと、関西弁ではなく「階級感覚」で出身地がわかります。
住んでいる地域や、学校や、付き合う人の“ステータス”を、まず考慮に入れないといけない社会でグッとこらえて、もしくはぬくぬくと生きてきたその独特の価値観……。

 都市で比べてみたら、「階級」から離れた本当の意味での自由恋愛は、東京の女性が世界で一番実現しやすいかもしれません。
だって、東京で一番ものを言うのは「お金」ですから。

 あれ? そう考えると、なんか下品な気も。。。え? やっぱり階級ってあった方がいいのか? いや、そんなはずはない。煩悶。。。

 ということで、階級を超えた愛を描くオススメの映画が。
『Partir(2008)』です。『イングリッシュ・ペイシェント』のC・スコット・トーマスが主演しているフランス映画(彼女イギリス人なのに国立高等演劇学校を卒業するほど仏語が堪能)なのですが、まあ、これがまた「できそこないの昼ドラか!」というくらいシナリオがひどい。 加えて邦題もひどい。『熟れた本能」ですよ? 日活ロマンポルノかっ!
でも、「階級を超えた恋in France」を見るには非常にわかりやすい映画です。
ブルジョワジーとプロレタリアート、二人の男の間で揺れ動く不倫話なのですが、まあ、分かりやすいほど男性の見た目が違う。 労働者階級のサエナイもっさいガチムチ系になんでまた、有閑マダムが惹かれるのかが、イマイチわかりづらいと思いますが、ブルジョワという階級の「偽善」から解放されようともがく、専業主婦の苦悩を是非、13:30~東海テレビを見るつもりで観てみて下さい。 韓流ドラマにもつながるベタさがあって面白いです。

Text/Keiichi Koyama