2006年よりフランスでは妊娠に関する就職差別が禁止されました。
採用拒否、異動、契約更新すべての場において、妊娠を理由にすることは禁止。
就職活動中に「あなた、妊娠してますか?」と聞いてはいけないし、聞いても本当のことを言わなくていい。むしろ、妊娠を判断基準にした疑いが会社側に少しでもあった場合、
妊娠女性が有利になるようになっています。
産後は1人目と2人目は16週間、3人目なら26週間育児休業が取れます。
父親も10週育児休業がとれますが、育児休業後は同じポジションは当然保証されています。
(※数字に関しては時々に応じて変更があるので、現時点でのものと異なるかもしれません)かといって、企業側だけに負担を強いるのではなく、育児休業取得者の代替要員のために人を雇う場合、国から補助が出ます。
面白いのは、育児休業中は「労働契約が停止」されるという所。働く義務もなければ、企業が賃金を払う義務もない。では、無給になるということか? というとそうではなく、
出産保険というものがあって、そこから「育児休業時の所得保障」が出る。つまり、ざっくり言えば「子育て中は保険から給料が出る」ということ。
こういうシステムは、「妊娠で休まれると仕事が滞る」「他の人が来ればいいってもんじゃない。代わりの人に業務を教えるのに時間がムダ」など、合理性を重視する社会では生まれません。日本の労働は、ムダな会議や残業が多くて有名なのに、なぜか妊娠出産にかかわるムダは大嫌い。矛盾とはこういうこと。
自分が産むときのことを考える
日本の会社を経験して思うのは、産休を取ったり、育児をしながら仕事をしている女性に対し、同じ女性から批判が出るという驚きです。もちろん、出産時、もしくは出産後の労働を他の人が負ったり、保育園の時間までに帰宅しなければならない人と一緒に仕事をすると大変。でも、そうさせているのはその分他の人員に負担が分散しないように努力できない企業だったり、人員補充ができないような社会制度だったりなわけで、怒りの矛先が違うと思っていました。
「出産を言い訳にしないで、妊娠前と同じ仕事量をこなして! できないなら産まない!」という考え方は、ある意味素晴らしいですが、自分が産むとき辛いだろうなあと……。
さらに驚くのが「自分の手だけで育てる」という発想。
親に協力してもらったりすることが、「手抜き」かのように言ったテレビコメンテーターがいました。「昔は頑張って自分で子育てしたのに」だそうです。手助けしてもらって何がいけないか、自分には理由が見つけられません。フランスではベビーシッターを雇うのにも条件はありますが補助がでますし、保育施設もしっかりしていて、大学にすら付設されている場合も。だから、日本の子どもよりフランスの子どもが不幸せに育っているなど、誰が言えるでしょうか。
とにかく、子育てしている人を、一人分の仕事ができないムダな人員と批判するのは、自分で自分の首をしめているような気がしてなりません。
合理性or人口?
もちろん、出産子育てに至れり尽くせりなフランスが、問題がないわけではありません。
子どもを産めば経済的に相当優遇されるので、自身が生きていくことを目的に、出産を選択するという人もいるようで、それは本末転倒。
しかも財政がひっ迫すれば、途端に補助が制限される事態も。安心できるからと多く出産したあとで、補助を打ち切られれば、今度は肝心な育児で経済的に苦しむことになる。今回の大統領選でもっとも心配されていたのは、サルコジが再選した際の補助の制限でした(結果的にベクトルは反対に向いたわけですが)。
子どもがただ増えればいいというのも考え物。少子化でも幸せになれる道はきっとあります。どちらが正解かはわかりません。ただ、合理性と人口、どちらを大切にするかは、そのときの政治の判断。つまりは国民の判断だと考えると、産みづらい今の現状は、私たちが生み出していることとなり……ちょっと立ち止まって熟考したいものです。
Text/Keiichi Koyama