「私が女だから? それをね“差別”っていうのよ」

 カッコつけて、若かりし日にタクシーに同乗したフランス人女性を相手に、先に降りて反対側に回り、外からドアを開けてあげたときがありました。
「ありがとう。でも車のドアくらい、自分で開けられるわ」

こうすることが正しいと大人になったばかりの自分は、マナーだと思ってやったのですが、ピシャリと。
「今、あなた『ドアをわざわざ開けて“あげた”』と思ったでしょ? それは何故? 私が“女”だから? それをね、“差別”っていうのよ」

!!!!! 
 はっきりとした好意をそこまで否定されたことは初めてだったので、一瞬憤慨しかけたのですが、逆の立場になって考えたら確かにそうだなと納得。 身体が細くて小さいアジア人だからという理由で、身体の大きな女性にタクシーのドアを開けられたら、それ親切じゃなくて、子ども扱いされたと思う。
 フランスでは建物のドアは先に開けた人が、後から来た人のために押さえておくという習慣があります。
たとえそれがどんな相手でも。
しかし、それは先に開けたのにそのまま閉めて、後に続く人にドアを押すエネルギーをもう一度使わせるのは非合理的な行為だから、不親切と捉えるようです。
フランス人は(特にパリ人は)合理的で、余計な動きが嫌いなのです。

「わざわざ」の行動に理由がないのは問題?

レディーファースト 画像 Nurture By rickyqi

 でもレストランのドアと違い、わざわざくるっと迂回して、反対側のタクシーのドアを開けてあげるのは、非合理的。それは開ける力さえない年配の人か子ども相手なら説明がつく親切。なのに、大の大人にそんなことをわざわざするのは、「女だから」という理由しかありえない。ただ「女だから」を理由に、何かをして“あげる”。それは、差別的行為で、無邪気な悪意だと言われました。

 「女は昔、コルセットで締め付けられ、ヒールを履き、クラッチバッグを手にし、もう片方にはエヴァンタイユ(扇子)を持たされた。
自分でドアさえ開けられなかったの。だから、自由に動き回れる恰好をした男が開けて“あげた”の。
それが、いつの間にか“マナー”として残ってしまった。多くの男はそれが“優しさ”だと思い、多くの女も“優しさ”だと信じてきた。
そこ残っているのは『女だから』という正当な理由のない動機付け。
正当な理由のない男女の役割分担は立派な“差別”よ」

「女性優遇」も理由を考えて

 レディ・ファーストの国、フランス。
ただ、それは“マナー”として植えつけられているだけであって、フツウの人は何も考えずにしている。
「正当な理由のない“マナー”は差別」
最もな意見。

だって、それは結局「女は結婚したら退職するもの。だってそれが“しきたり”だから」「女性は子どもができたら子育てに専念するもの。だってそれが“フツー”だから」
などと口にするのと同じこと。

 そのため、意識的な女性は逆にレディ・ファーストを避けることがあります。
ご注意あれ。
 自分のバッグを持たせたり、車のドアを開けさせるといった行動がキザだと考える日本人男性の意識。
レディ・ファーストって、優しさに見えて実は“差別”だと考えれば、それはあながち間違ってはいないと思います。
が、そこまで考えてないのかも。
だって、“マナー”って大抵何も考えていない人が従うものですから。

 というか、タダの不親切の可能性高し。

 ベビーカー抱えて駅の階段を降りるお母さんを、よく見かけます。
それは、助けようよ~と思います。
お母さん側に対しても、その親切は断らずに素直に甘えようよ~と言いたくなりますが……。

Text/Keiichi Koyama