C・ゲンズブール、リュディヴィーヌ・サニエ、イザベル・ユペール、オドレィ・トトゥ。。。 一見、「あれ? ちょっと地味?」的サエない女性がセクシーさのアイコンとなる国、フランス。 日本に例えれば蒼●優さんや宮﨑●おいさん、綾瀬は●かさんあたりがばんばん脱ぐといったイメージ。 もちろんバルドーのような解りやすい“セクシー”もフランスにもありますが、同時にフランス人が大事にする“ソフトなのにエロティック”はどうしたら生まれるのか考えてみました。
仏女、見た目<魅了する力
フランス人女性にとって、見た目以上に大切なのはseduire(魅了)すること。
映画に出てくるような華奢ですらっとしている女性は、想像以上に多くありません。
ずっと骨太だし、腰周りもハンパなく大きい人が多いし、太ってはいなくてもどっしりしている感じ。
でも、ドキッするほど魅力的な女性が多いと感じるのは、このseduireする方法を知っているから。
外見に頼ることで家を出てから帰るまでずっと“モテ”を振りまくのではなく、何気ない仕草や、何気なく触れる行為などで、必要な時、必要な場所、必要な相手にのみフェロモンを発揮する。
なので、パッと見誰から見てもセクシーというわけではない女性が、あるときものすごくエロティックだったりする。
というより、普段あまりフェロモンを出していないのに、あるとき突然魅力的になることができる、そのギャップが女性の価値なのでしょう。
国際映画祭などでレッドカーペットに立つ世界の女優陣を眺めてみると違いが良く分かります。
米国出身の女優が、ものすごく分かりやすくエロティックを演出しているのに対し、仏女優はなんだか一瞬地味にさえ映ります。
デコルテを大きく開けていても、谷間が見えていてもエロスが薄い。
例えばミソかつとすまし汁の違い。
どちらもおいしいけれど、すまし汁の味わっかりづらっ…というような。
日女、魅了する力<見た目
現代の日本のモテる女性はどちらかというと、ハリウッド女優的。
わかりやすく映ります(エロスの攻撃度は全然違いますが……)。
見た目に頼る。
外見は魅力の「ダダ漏らし」です。
外見を頼りに寄ってきた人間に、イメージとのギャップを見せてしまうのは裏切り。
そのため、「見た目も中身も一緒です」という姿勢を大事にしているのでしょう。
常にしっかりファンデーション、常に頬骨チーク、常に生脚、常にシフォンのワンピースorミニスカート。
そういうのが好きなメジャー(なのかどうかも疑問ですが)な男性が振り向いてくれるのを待っている。
そして、そういう女性は外見と内面の違いを「使いこなす」のではなく「埋める」ことに必死になっているように見えます。
かわいい外見の女性が、いきなりエロティックになっては男性が引いてしまうから?
自分自身の姿を「愛される」ために矯正しているかのよう。
それ、疲れませんか? それ、本当の自分ですか? 女子会の時だけ素を見せるって大変じゃない? と思わず聞きたくなります。
滅私奉公ってこういうこと?
必要な時に応じて自分の魅力を開示し、変化してしまうのは、裏表があるみたいでイヤなのでしょうか。
女優陣を見ても、セクシー路線はセクシーな役、清楚路線は清楚な役ばかり。
見た目を裏切ってはいけないと、強迫されているかのよう。
もちろん、「地味な女」と「セクシーな女」を使い分けることが、完全にいいことだとは言えません。
「女性にはある時は聖母マリアで、都合のいい時に娼婦でいてほしい」という男性のマドンナ・ホアー症候群に合わせているとも言えますから。
でも、抑えも隠しもしない単純な魅力は、多くの人を引き付けるかもしれませんが、面白みがありませんし、第一危険。
対象外の人まで知らないうちに惹きつけてしまうわけですから(断る強さがあるのなら、いいですが)。
わかりやすい“モテ”よりも魅力を効率的に使って
フランス人女性の「しっとりしているのだけれど、時にグラマー」。
これは自分の魅力を必要な相手にだけ、効果的に発揮する訓練をしてきた女性ができること。
だけど、この訓練、ものすごく効率いいと思うのです。
その証拠に、女性の平均セックス体験人数は、2004年時点でフランス人女性が約8人なら日本人女性は約13名(2007年には10人強に減ったらしいです)。
数の多少は全然問題ではないと思いますが、効率は、いいですよね。
Text/Keiichi Koyama