恋愛には仕事の勝ちパターンが効かない

そもそも「依存」とか「メンヘラ」とか、恋愛の畑には、ともすれば自分自身が陥りかねない沼が用意されすぎている。実際、そのうちのいくつかには20代のころまんまとはまった記憶もある。
何度も同じ間違いを繰り返すほどバカじゃないし、もうあの頃のようにみっともない姿を晒せない。自然治癒力も落ちてるし、今度怪我でもしたらそろそろ再起できないかもしれない。だから沼にはまらないように、つい慎重になってしまう。

好きな人を前にした自分の言動を、どこか客観的に眺めながら、今の暴投だったかな、とか、いつかと同じ轍を踏んでないかな、とか、いちいち不安に思う。そんなことやってるから、だんだん恋愛がおっくうなものに感じてくる。ましてや30年も生きていれば、わざわざそんな面倒な道を進まなくても、恋愛を迂回して進む道があることもとっくに知ってしまっている。

昔はどうしてあんな風に、ただ恋人であるというだけの赤の他人に、躊躇なくわがままをぶつけることができたんだろう。相手が思い通りになると疑いもせず、全力で寄りかかることができたんだろう。
そんな風に遠い過去に思いを馳せると、何だか自分がおばさんを通り越して、早くもおばあちゃんになってしまったかのようで、ストーブで餅でも焼くかという気にもなってくる。

……餅はさておき、仕事で得た知恵と、積み重ねたトライアンドエラーの数が、恋愛で素直になる邪魔をする。30代には30代なりの、経験を重ねた者の、大人の距離のとり方がある。そんな風に思っていたけれど、仕事の勝ちパターンを恋愛に持ち込んだところで、いつまでたっても目の前の相手は「取引先」のままなのだ。