器用になったから恋愛できない
気の良かった知人がふと家にやってきて、自分の信じている宗教がいかに最高かという話を数時間にわたって説いたとき、もういい、帰ってくれと大泣きしたのは20歳のときだった。
妄信的で、目がギラギラしてて、こちらが何を言っても聞き入れないだろうという絶望はあったけれど、決して威圧的だったわけではなく、今となれば何も泣くことはなかった。ちょっと次の予定が~とか適当なことを言って、切り上げて逃げればよかったのだ。ところが当時の私には、そういう風にうまくやる知恵がなかった。
例えば誰かに対面で嫌味を言われたとしても、33歳になった今なら、何も聞かなかったことにしてその場を適当にやり過ごし、5分もあれば気持ちを切り替えることができる。体を傷つけられたわけでもなし、誰かが瞬間的に発した一言なんてないと思えばないのだから、ははは、と笑って処理できる。
あるいは、例えばミーティングの席で気まずい沈黙が流れたとき、今なら、毒にも薬にもならない一言を発して空気が止まるのを阻止することができる。20歳そこそこの頃の私なら、きっとキョロキョロ周りを見渡して、何で誰も喋らないの~、とお客さんのように誰かが口を開くのを待っていたのだ。
30を過ぎて、とにかく器用になった。
思えば20代の頃は、恥ずかしすぎて思い出したくもない失態をいくつも重ねてしまった。人前でボロボロ泣いたり、顔を真っ赤にして怒ったり、口を曲げて嫉妬したり。けれど年齢と経験を重ね、器用になるにつれ、そういう、マグマのように突如噴出する気持ちを、少しずつ上手に隠せるようになっていった。
いくらそのとき気持ちよく発散しても、あとで泣きながら尻拭いするのもやっぱり自分だって、時間とともに分かってしまったから。
次第に、寂しさや、怒りや、嫉妬といったドロドロとした感情を自分の中に隠し持っていることさえ苦しくなって、そもそも自分の中に初めからなかったのだと、心の奥にしまいこんでしまったようにも思う。
結果、多少の波はあるけれど、毎日いたってフラットな気持ちで過ごせるようになったし、何より仕事がとてもスムーズにやれるようになった。……
一方で恋愛はというと、そんな仕事での経験値に反比例するかのように、器用になればなるほど、見事にままならなくなっていく不思議。