「わかってくれる人」と結婚したかったのは

でも、そもそも、「わかってくれる人」って、どういうことなんだろう。
なんで私、わかってもらいたかったんだろう。

それはつまり、「寄り添ってもらいたい」という欲望でした。

独身だった私は、仕事も忙しかったし貧乏ではなかったし一緒に遊ぶ友だちもいました。現状に満足!ってほどではなかったにしろ、それなりに生活を楽しんでいたと思うし、別に、結婚しなくてもOKだったはず。
それがなんで、「わかってくれる人と結婚したい」とぼんやり望んでいたんだろう、と思い返すと、「誰かに寄り添ってもらいたい」という一言に尽きるのです。

仕事で必要とされていても、別に私の代わりにその作業をできる人がこの世にいないわけではない。
クリエイターの世界では「オリジナリティ」なんて言葉でもてはやすけど、でも誰かの「オリジナリティ」が空けた穴を、別の誰かの「オリジナリティ」が埋めている。そんなことが、毎分毎秒起こっている。

友だちだって、みんなそれぞれ自立しているし大人だし、私と遊ばなくなれば別の誰かと楽しむ。私としかできない会話、リアクションがあったとしても、それがなくなったらまた別の楽しいことを見つけるだろう。自分だって同じだから、それをとくに寂しいとは思わない。一生の友だち!と思っていても、相手を縛るのも縛られるのもナンセンスだと感じている。

でも、籍を入れる、となったら話は別だ。
私はロマンチストだから人生をシェアすると決めた人とはできれば死ぬまで添い遂げたいと思っている。それを妨げるような事案が発生しないような相手を選び、「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」というおとぎ話を完結できることを信じている。
そうなるには、私を許すことができて、それでいて離れずに寄り添ってくれる人。病めるときも、イケてないときも、ひどいときも、見放さないよ、と誓ってくれる人。それを、「わかってくれる」というジャンルに当てはめていたフシがある。

ただ、私のことを見捨てない人間がこの世にいて欲しい、という欲望を、私は「結婚」に託していたのかもしれない。

結婚して10年以上も経っても、意外と相手のことを知らない自分を発見したりして、けどだからこそ新鮮で飽きなかったりもするわけで。 だから私も、私のことわかってくれなくてもいいし、わかってますよアピールもしてくれなくていい。
でも大丈夫。私のおとぎ話がいつまで続くかは、結局のところ、私にも相手にも「わからない」んだから。

今日も今日とて叶恭子様のインスタをディグリながら人生の答え合わせをするフリをしつつ、どーなんだろーねー、わっかんないよねー、ぐらいのノリでやっていくしかない。

Text/ティナ助

初出:2018.06.28