30代女性の婚活。結婚=幸せではないけれど誰かと生きたい気がする私たち/つかふる姐さん

結婚=幸せではないが
誰かと生きたい気がする私たち

AM読者の皆さま、はじめまして。わたくし「つかふる姐さん」と申します。

昼間は心理の専門家をやってますが、夜職経験も長く、人に言えない手法を磨いて20代の頃に5000万を貯めました。私と同じように悩む方にそのどちらの経験も活かせればと、現在はSNS上で“人には言えない匿名相談”「真夜中の心理相談室」なるものを開催しています。

今回AMさんでは、「30代女性の婚活」についてのお話をしたいなと思っています。

もはや“結婚=幸せ”ではなくなった時代を生きている私たち。
それでも「誰かと一緒に生きていきたい(ような気がする)」かたは多いと思います。

とはいえ「30代」は、本格的に仕事のやりがいを感じ始めたり、とことん趣味にのめり込んだりと、社会的にも人間的にも成熟してくるいちばん面白い時期でもありますよね。憧れだったブランドも自分の力で罪悪感なく買えるようになったり、自分だけの時間を愛おしく思えるようになったり…。

「目の前の仕事・生活に日々一生懸命で、気づいたら33歳になってた…」
「子どもとか考えたらそろそろ結婚しないと…?だけど彼は結婚に興味ないみたいだし」
「それなら現実的な相手を探すために婚活アプリとか使うべき?」
「いやでも1人で生きていけるのに、わざわざ好きでもない男と結婚する意味ある?」
「かといって、今の彼と結婚したら“幸せ”になれるのかも全然わからない…」

時間は無限にあるわけじゃない。気がつけばあっという間に過ぎ、二度と戻らない。でも一方で、焦って間違った結婚をして人生を台無しにはしたくない。

考えれば考えるほどそんな沼にはまってしまう、身動きが取れなくなってしまう。そんな方、多いのではないでしょうか。

お恥ずかしながらここで超個人情報を暴露しますと、私自身は2回結婚をしています。

(こんなこと言うと1人目に殺されそうですが)1度目の結婚は失敗、2度目の結婚は(今のところ)正解だったなと思っています。

1人目の旦那さんも2人目の旦那さんも年齢は30代、年収1500万円を少し超えるくらい、容姿も中の上、いい大学院で修士とって、性格もまあ穏やか、ご家族も平和で、自分で言っては何ですが「お前(つかふる)にしちゃいい男捕まえたな」って感じです。実際周囲からもそんな風に言われました。

つまり2人とも申し分ない良物件だったわけです。でも、その中身は全く異なっていました。1人目の旦那さんには最初からずっと“追われる”恋愛でしたが、2人目の旦那さんは私が“追いかける”恋愛だったのです。しかも絶望的な片想いからのとんでもない下克上でした。私は、1度目の結婚の失敗を糧にして、2度目の結婚を成功させたように思っています(ひどいな)。

自分を“高いうちに売ろう”と思った
一度目の結婚

そう、今回の連載では、私のこのスーパープライベートな個人情報をさらしつつ、その失敗と成功から、読者の皆さまと一緒に、30代女性の婚活について考えてみたいのです。もっと言えば、「不幸になる結婚/幸せになる結婚とは?」について。

私の1度目の結婚は、20代の後半でした。

当時の私は、誰にも文句を言われずに大学院での研究を続けたくて、好きなように生きたくて、夜職で荒稼ぎをしまくっていました。将来を見据えた異性とのお付き合いなんて夢に見たこともなく、彼氏を作るなんて時間の無駄とばかりに、セルフ奴隷のように働いていました。

そんな時、所属していた銀座のクラブに客としてやってきた前夫(当時30歳)。彼の意外なほどの天真爛漫さに心を許し、私にしては珍しく店外デートに応じたのです。彼は2度目のデートで、食事もできないほど緊張しながら「僕と結婚を前提に付き合ってください」と告白してきました。

それまで全く意識していなかった「結婚」の2文字。でも当時の私は「悪くないかも?」と感じたのです。

彼は仕事に関してはそれなりに優秀で、優良企業で今後の出世も約束されたようなものでした。夜職歴の長い私に寛容で「仕事はしてもしなくてもいい。勉強したり趣味の学校に通ってもいい」と言いました。彼自身も激務でほとんど家にいられないから、君も自由に過ごしていいよというわけです。

彼のスタンスとしては、「愛しあう妻」が欲しいというよりは、「夫婦としてやっていく表向きのパートナーが欲しい」という感じでした。私もそのイメージが気に入りましたし、ある程度の生活水準も保証されて干渉もなく、自由もあるなんて素晴らしいな!と思ったのです。

当時の私の恋愛観はかなり荒んでいて、「男なんてどれも一緒で、愛しても意味なんかない」「自分をうまく売るなら、高く売れる若いうちに手を打たないと」などと思っていたので、

彼のプロポーズも「愛の告白」ではなく、どこか「ビジネス」として受け取ったようなところがありました。