フツウを求める女は贅沢

©Mother and Child 1 By ECohen

フツウ女 [フツウ・ヲンナ]  hutúː onna
生息地:日本全国の婚活現場。 特徴:「普通」「フツウ」「フツウ」を会話に挟むことに抵抗感がない。

 「やっぱり何気ない日常が一番だよね」「やっぱり分相応な生活が幸せ」「平々凡々とした生活に幸せがあるんだよ」などとしたり顔で、ため息交じりに口にする人。
なんだか、僅かな幸せでも満足できる幸福度の高い人っぽく聞こえ……てたら、もうアウトね。ヤツらの仲間よ。

 実は「フツウの幸せ」を強調する女の方が、むしろ貪欲。自分の身に大きな災難がかぶらず、辛く苦しい事などなく、ほんわかのんびりと暮らせることを希望している……って、それが一番ゼータクだっつーの! と突っ込まれることなどちっとも考えてない。頭の中が幸せな女。

 「好き・嫌い」がその人の嗜好を最も端的に表すものだとおもうんだけど、「フツウ」って、語る人の幸せに関する思考の積み重ねの集大成を端的に表してるんだと思うの。

 「好き・嫌い」に理屈があまりないのと同じで、「フツウ」にも大した根拠や数値や、具体的なリサーチ結果があるわけじゃない。「フツウの幸せ」が「数値的平均」であった試しなんかない。その根拠もない「フツウ」が欲しいのは、「フツウ」とは人がそれまでの人生で見聞きしてもっとも「良い」とされるもの(「優」でもないけれど「可」でもない)だから。その人が育った環境の中で「ここまでは求めると望みすぎだけれど、ここから下は幸せじゃない」と学んで体得してきた「思想」そのもの。
つまりその人の人生に関する「個人的思想」、「幸せとされる個人的基準」の集大成が「フツウ」なの。それを堂々と他人にとっても「フツウ」であると口にするなんて、なんて図々しい。


 自分が生きてきたちっぽけな範疇だけ学んだ「思想」を公言し、付き合い始めたら彼氏に押し付け、「コレが欲しいの」と宣うだなんて、なんて人として大丈夫? 自分の「良」がみんなにとっても「良」だとなぜ決めるの? 相手にとってはそれが「優」であって求めすぎかも(逆に「可」であって謙遜しすぎかも)しれないじゃない。

 こういう「自分が育ってきた環境で良しとされる基準」を押し付ける行為って、男でいえば「ママの料理の味を妻に押し付ける」のと等しいわ。自分の家庭で「ウマイ」とされる味つけが、「フツウに美味しい。よってその味に従え」と平気で強制する男。
 そんな旦那、「だったらテメーで作れ」とか「テメーのママの味なんて知るかっ」とチャンバラトリオ(古っ)よろしく後頭部ハリセンで叩きたくなるってもんでしょ。それと同じことをしているのよ。はっきり言って、気持ちが悪い。

 天下のファッショナブルドーリーガールズグループ(形容長っ)Perfumeさんたちだって歌ってる。
♪ねえ、みんなが言う“フツウ”ってさ、なんだかんだって実際はたぶん、真ん中じゃなく理想に近い。だけど“フツウ”じゃまだ物足りないの。このままでいれたら、って思う瞬間まで遠い遠い遠い遠いはるか先まで、“サイコー”を求めて終わりのない旅をするのはきっと僕らが生きている証拠だから……君がずっとあきらめない強さをもっているから……きっと前を見て歩くドリームファイター♪

 「フツウの幸せを」とか口に出す女は“サイコー”を追求してる一番の夢想家(Dream Fighter)で野心家だと、中田ヤスタカ先生もおっしゃってるわ。

 みんな自分が理想とする幸せを求めてる。だったら、「フツウ」とかいう言葉で慎ましいヲンナ演じないで、“サイコー”に幸せになりたいと豪語する女のほうが、よっぽど素直で真っ直ぐな人間。押しつけがましい図々しい人間になりたくないのなら、早速“サイコー”に幸せになりたいと豪語しましょ♪

advice

「フツウの幸せ」を欲しがる女が一番の理想家で妄想家で夢想家。自分がなっていたら、さっさと解脱のために人生勉強を。周囲にいたらさっさと友達の縁を切りましょ。思想を押し付けられる前に……。