小説にすればいい、というお門違いな指摘

ののか

同業者からもすごい言われるんです。例えば、このスタイルを許してはならないとか、家族のことやドギツいことを書きたいなら小説にすべきだ、とか。でもそれは違うって思ってて……

そらみ

あ、それ聞きたい。だって、フィクションかました方がこんなに言われること無いもん。今2人が一心に引き受けてる“作者への共感”が、“登場人物への共感”と分散されるからずっと批判は軽くなると思う。フィクションだと、作り手と読者の距離はきっとそこまで近づかない。小説にするのは違う、っていうのはどういう思い?

ののか

小説だと、嘘になる、気がするんですよね…。本当にあったことなんだよって、そうやって書きたいから

そらみ

フィクションを混ぜることは嘘になることなんだ? そうか、事実を事実として伝えることに、意味があるんだ!?

ののか

勿論これから小説を書くことはあるかもしれませんが、でも、フィクションじゃねーからって、これは、本当のことだからって。小説にしなって言われるのはすごく違和感だし、嫌です

そらみ

面白いなあ。私はノンフィクションよりフィクションを書くことに興味があってね、なぜなら、“誰かの固有の体験”じゃなくて、“誰にでも起こり得る体験”に繋がりやすいと思ってて、そこに惹かれてるんだよね

ののか

でもコラムも書いたりしますよね?

そらみ

するけど、控えてる。私という人間を晒すことで、今後作るフィクションのイメージが固定化されないよう、のギリギリを狙ってるつもりで。例えば、私が今どんな恋愛をしてるか、で私が書く恋愛物への印象は少なからず変わると思ってて、だからそういうことはあまり言わない。絶対言わないこと、は決めてたりする

マドジャス

それってでも、フィクションとノンフィクションの差を意識してることは同じですよね

そらみ

そう、だからすごい共感したの! 私も、「書きたいならノンフィクションで書けば」って言われたらはあああ? ってなるし、それは代替可能なものじゃない。だから、よく同業者は“小説を書けば”なんて言えたもんだな、と」

マドジャス

私も、本当のことだって顔も出して、この歳で赤裸々に言ってるから意味があると思ってて、だから小説とは全然違います

ののか

私にとっては、小説にできないくらい、それこそ死を覚悟するようなものだって思ってもらえたらいいんだけど、小説の方が上って思ってる方が多いから、そんな風に言われちゃいます

どうして大層な小説を書くと「よくこんなもんを生み出したね!」と尊敬されるのに、自分の名前で本当のこととして書くと、「体験を垂れ流して」と思われてしまうんだろう。どっちも身を切るような覚悟と、実は相当な技術の上になりたってるのに。いや、覚悟という面でいうとノンフィクションの方が必要かもしれない。だってその作品への評価が、まんま人物評価に直結する。そんな怖いことなかなかできない。

「いやあ、困ったねえ」「困ったねえ」と言いながら3人で杯を重ねる。困ったねえと軽い感じで言ってる場合じゃない。

<ここまでの乱暴なまとめ>

ののか:小説ではなく、本当のこととして書きたいと思ったものを書いている。

マドジャス:顔を出してこの年齢で、そのトータル感が大事。

そらみが思ったこと:2人が書くものが「作品」ではなく「体験垂れ流し」と思われるから、2人は「書き手」ではなく「普通の人」に思われてしまう。だからこそ「作品に共感」ではなくて「作者に共感」になってしまい、どんどん読者と距離が縮まっているのだろう。友達の交換日記をただ読んでいる、そんな感覚に読者は陥っているのかもしれない。