「君に決めた!」の強さ
でも、愛ってすごいのだ。愛ってマジでやばい。人間を変える。マイスイートハニーである亀島くんの好きなところは2兆個くらいあって、もちろんその全てが結婚したいと思った理由だけど、もうちょっと感情的じゃない部分で話をすると、私が結婚した理由は「選択肢が多いほど幸福とは限らない」ということに気付いたからだった。
自分よりも若い人が羨ましい一番の理由は、自分よりもその人の方が選べる道が沢山ある感じがするからだけど、=幸せっていうのは、どうやら何もかもに当てはまるわけではないらしい。
例えば、目の前にめちゃくちゃ美味しいサーモンとえんがわのお寿司があるとする。私はそのうち1つしか食べることができない、さぁどっちにするっていう時、これはすごく悩むよね。だって、正直言ったらどっちも食べたいし。しかも、どっちを食べるかを決める前っていうのは、言い換えれば「どちらも食べる権利がある」状態なのだ。これは一見とても恵まれた状態に見える。が、本当のところはどうだろう。「権利がある」ことと「実際に食べる」ことは大きく違う。どれだけ権利があろうとも、実際に食べるまでは本当の幸福感は得られていないはずだ。しかも、「サーモンとえんがわのどちらかを選ぶ権利」を与えられているのが自分だけとは限らないという大きすぎるトラップ。もしかしたら、何処かの誰かが先に決断をして、えんがわをさらっていくかもしれない。そんなんもはや罠だろ。もしその罠にハマれば、どんなにサーモンが美味しくったって、自分の意思で早く選択すればよかったと悔やんでしまうものじゃない? 逆に言えば、サーモンを自分で選んで食べた時点で、たぶんサーモンはえんがわよりも美味しい。だって、私が望んだことだから。
この例えが本当に正しい例えになっているのか自信はありませんが、私が結婚を決断できた理由の一つはこんな感じです。「まだまだたくさんの可能性がある」と思った時に感じる喜びよりも、「君に決めた!」と自分の愛を盲信することの方が、幸せだと思った。権利よりも現実が欲しかったのかもしれない。
でも、「サーモンを選んだ後に、マグロが出てきたらどうするの?」という声が聞こえる。う〜ん、このタイミングでマグロもあることバラすなよって思うよね。だけど、だ。マグロが遅れてやってきた時、既に私はサーモンを選んでいて、選んだってことは、選ぶ前よりもサーモンのことが好きになっているはずなのだ。ほら、なんか「たまたま旅行で滋賀県に行ったら、それ以降ニュースで滋賀が話題になると妙に感情移入して見ちゃう」みたいなことってあるでしょう? それと同じで、サーモンを食べようって一度決断した時点で、サーモンってのは他のネタとは一個ステージが違うんですよ。
運命の人はあなたにするね
誰か一人、パートナーを選んだ時点でもうその人は運命の人なのだ。結婚しようがしまいが、私たち自身が「この人と生きていく」と決めた瞬間もうそれは運命で〜す。そういう意味で、私は間違いなく運命の人と結婚した。嬉しいことこの上なしである。もしもあなたに好きな人がいて、大好きだけどイマイチ結婚に踏み切れないな〜なんて時がきたら、このコラムを思い出してほしい。決め手がなければ決め手を作ればいいのだ。自分の力で、大好きな人を運命の人にしよう。
TEXT/長井短
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