映画「キャバレー」に見るデカダンスの必要性

 人は清く正しいだけでは生きられません。
水清ければ魚棲ずという言葉がありますが、あまり清水だと住み難い世の中になるように思うのです。

 私の好きな「キャバレー」という映画があるのですが、
その中でナチスドイツが正しく健康的な価値観を全面に押し出して、正しい世界を実現させるために戦争を始めたという描写があります。
たしかナチスも禁煙に力を入れていました。

 私は現代の禁煙運動がナチス的だとは言いませんが、正しさを全面にして押し付けることにはある種のファシズムを感じてしまいます。
確かにハメを外し過ぎるバカも居ますが、マナーを守って楽しんでいる人まで叩くというのは、集団ヒステリーに思えてなりません。

 正しさばかりがまかり通る社会は生き易いか?
それは人間の生理にあっているか?
必要悪まで排除しているのではないか?
自分の悪や後ろ暗さも否定して、生き難くならないか?

 寛容は他人のためだけではないのです。
正しさを振りかざし過ぎて少し疲れたなら、歴史も含めて少し考えても良いのではないでしょうか?


Text/肉乃小路ニクヨ

次回は <生きることは忘れること 過去にこだわらない貪欲な生き方>です。
よかったことも悪かったことも記憶から抜け落ちてどんどん忘れてしまう。昔好きだったはずの人のこと、ひどい振られ方をしたあとにもずるずる付き合いつづけた人…いろんな思い出が消えていっても、今日も明日もまた感動するほどすばらしいことは起こり続ける。だから容量オーバーをしないように、忘れることもときには大切。