壮大な実験
私はおっさんでありながら女装をして、
自分のことをニューレディーと言っています。
しかもおっさんの部分を多分に残して
レディーですと押し通しているわけです。
おっさんであることについては本人も十分に自覚的ですが、
脱毛やダイエットをして、女性的に見せようとはしません。
むしろ、鍛えて、ガタイがちょっとイイくらいにしておきます。
おっさんの肉体と、とてもレディー的な言動。
その矛盾こそが、ニューレディーのニューレディーたる所以なのです。
そんな私のことを好きになる方もいますし、
そうでない方もいらっしゃいます。
なぜ私に対して両極端の感情が向けられやすいのでしょうか。
社会にいる者はある程度、秩序を要求されます。
社会が進んでいるほど、合理性や論理性も求められていきます。
そんな中、秩序や論理性を乱しかねない矛盾があれば
心に「引っかかる」というのが人情です。
私がニューレディー活動を19年も続けているのは
恥を承知の上でも、確信犯的に矛盾を提示して、
それに対する人々の反応を観察するためでもあります。
矛盾は魅力
19年間観察を続けて、一つだけ言えることがあります。
それは、矛盾は間違いなく魅力である、ということです。
矛盾を提示されると、素直に共感をする人もいれば、イラつく人もいます。
でも共通して言えるのは、どちらにしても気になるということ。
人間は誰しも色々な矛盾を抱えつつも、それを抑えながら生きています。
そんなとき、矛盾を何のてらいもなく提示されると、
何かしら反応をしてしまうのです。
たとえば、おっさんが女装をすることは
「男は男らしく、女は女らしく」という古来の社会通念に反します。
でも、その社会通念って誰が決めたか知っていますか?
何も考えずただ従っているだけになっていませんか?
この世にいる全ての人は、男と女の合いの子で、
男が細胞分裂して男が生まれるということはないのです。
そしてほとんどの場合、男と女の間で育てられて、大人になっていきます。
男だけの環境、女だけの環境も、この世の中にはないのです。
そんな中で男からも女からも影響を受けながら育っていき、
それぞれの好きだなと思ったことを取り入れながら生きていくのです。
だから、誰しも男の部分と女の部分を当たり前のように抱えています。
それで良いのです。それが自然なのです。
だけども、男とは、女とは、という社会通念に従って、
自分の中の矛盾を抑えて生きている人が多いからこそ、
そこであからさまに矛盾を提示されると、
「心が動かされる」のです。
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