“自分がかわいい恋愛の浅はかさ”について
先日、話題になっている『モテキ』の大根仁さんが監督の映画『恋の渦』を観てきた。
キャッチコピーは”ゲスで、エロくて、ドキュン”。
そのとおりガチでゲスい若者9人の妙にリアルな恋愛劇だった。
作品そのものがすごく面白いので紹介したいのだけど、それは我慢してこのコラムではこの映画を観ていて感じたことを書いてみたいと思う。
この映画は強烈な”あるある”が根底にある。
『モテキ』でも表現されていた恋愛カースト/グループ内ヒエラルキーだ。
そのなかでも、特に強烈に観る者に迫ってくるのが“登場人物の自己中っぷり”だ。
ボス格の男は彼女に高圧的に接してやりたい放題、彼女が出来た冴えない君も彼女に対しては横暴になっていくし、彼女と同棲しながら適当にはぐらかして浮気をするオシャレイケメン、従順な彼女に見えていた2人がラストで見せるどんでん返し。
映画が始まった10分ほどは、この根拠なく「俺、最高」って思っているどうしようもない奴らにムカツキと居心地の悪さを感じるんだけど、次第にそれぞれの思惑が複雑に絡んでいく流れに引き込まれていくんですよね。
で、最後にはしんみりとしてしまった。
それは「みんな自分が一番カワイイ」という事実をエグッているからです。
誰しもがこういった部分を持ってると思うんですよ。
「彼氏/彼女がいちばん大事」なんて口では言いながら、その大前提には「結局は自分がいちばん大事」が、ある。
「甘えと依存」に代表されるものだけど、恋愛の破綻の根本はここにあると思うんです。
「彼氏が超やさしい」は彼がガマンして許容してくれることを前提としていたり、「話を聞いてくれる」ことは彼の話したかった何かを握りつぶすことを前提としていたり。
“恋愛関係を継続していく”ためには、自分が自分らしくいられることと同時に、相手が相手らしくいられることが大事になってくる。
どちらかだけに感情のしわ寄せがいってしまうようでは絶対に関係は続かない。