セックスから恋愛感情は生まれるのか?———
「精神的なつながりを求めるなら、動物性は否定できない」
———「ヤるかヤらないか」という基準がベースの乱交パーティーでの人間関係において、池松壮亮さん演じるニートの男性は、割と感情の交流を求めているキャラクターに見えました。
三浦監督: もともと彼は、この場に何か精神的な支えを求めて来たわけではなく、単純な自分の欲求を満たすために来たんです。
でも、やっぱり何回も身体を重ねるうちに、自然発生的に交流したい感情が芽生えだしてきた、かなあ? ……そんなところで朝を迎える、という感じなんですけど。
芽生えているかどうかは彼自身もよくわかってないんですがね。
ニートで自分がどこにも属していないっていうことがあるから、パーティーで起きたことも日常の延長線上としてとらえてしまったため、そんな感情が芽生えた。
この人がもし会社に勤めていて、スーツを着なきゃいけないっていう社会人としての立場があるとしたら、もしかしたらもうちょっと割り切れたかもしれないというのはありますよね。
———セックスから恋愛感情が生まれることもあると思います。
女性誌なんかでよく取り上げられる話題ですが、このふたつを切り離すことができるのか?というテーマについてどうお考えですか?
三浦監督: 切り離せる、と考えるのは普通のことだと思います。
「興味があるならセックスしてもいい、自分の動物性を認めたくない」という思いは、女性の方が強い。
逆に言うと、男性がいいわけを作ってあげれば女性はヤらしてくれる。
「僕はこんなに落ち込んでるんだから慰めてよ」って言うと「じゃあ、しょうがないかな……」と。
女性は、仮にそこに「ヤりたい」という気持ちがあっても認めたくないんですよね。
男性は、自分の動物性を素直に認められるからこそ、実は精神的な繋がりを感じると引きずってしまう。
この作品の中には、まさに動物的に肉体を求めるけれども、生まれてしまう精神的な繋がりというものがあるんですよ。
しかし、精神的な繋がりというのは断ち切りたくなってしまう。
それは、乱交パーティーに来た自分が精神的な繋がりを求めてしまったら、動物性を否定できなくなるっていう発想から、なんですね。