他者から指摘されないと変われない

「誰だって指摘されなきゃ変われない。誰かの幼稚さは周りの人間の無責任」
というツイートがちょっと前に私のタイムラインに流れてきたことがあった。
まるで自分のことを言われているように思えるくらい図星だったのだ。
私のこの幼稚さ(愚かさ)もきっと私の周りの人間による無責任がもたらしたものなのだろう。
つまり、私は指摘されないように人といい加減に付き合ってきたし、今もそうしているのだ。

多分過去に指摘してくれたり叱ってくれる人はいたと思う。
でも私はそれが怖かった。怖かったのは、目の前の相手がなぜ叱っているのかわからなかったのだと思う。つい被害者意識に脳みそが支配されて、相手が自分を責めている(いじめている)と勘違いしてしまっていた。
だから叱られないように浅く人と接したり、叱られそうになったら逃げたりしてきたのだ。

「もう友達なんかいなくてもいいし、恋愛もしなくていい、一生ひとりで構わない」
そんな風に歪んでいった。

1人で居心地のいい安心で安全な世界に辿り着けはしたものの、どこか切なくもあった。
居心地はいいかもしれないけれど、その先に待ち受けてる私の未来ってなんだろうか。多分孤独死だ。時々眠れない夜があると、私は孤独死が決定している自分の未来に恐怖していた。

「ちゃんとする」とは

無人島でたった1人で生きる分には別に他者なんて必要ないと思う。
1人なのだから、別に誰かを傷つけたり悲しませる恐れもない。でも同じ土地で自分以外にもたくさん人がいる中で生きていく以上、人との関わりは避けられない。私だって遊ぶ友達は欲しい、何かを共有できる人は欲しい、愛されたいし愛したい。
やっぱり寂しいに決まっている。
だったらちゃんとしましょうよ、ということだ。シンプルに言えば。

ちゃんとする。
今の自分にとって必要なそれは、想像することだ。
大切な人が、今どんな顔をしているのか、どんな気持ちになっているのか想像すること。
さらに、その大切の人の周りにいる人たちのことも想像すること。
そういう想像力をきちんと身につけられれば、相手と向き合うこともできるはずだ。そして何よりも自分自身と向き合える。

お金を稼ぐことよりもずっとずっと大事なことに気付いた今、ようやくスタート地点が見えてきた気がする。

Text/oyumi