数年前、当時キラキラ女子として注目を浴びていた、某Twitterアカウントの中の人が逮捕された。彼女の逮捕により、あのきらびやかな写真たちはほとんどすべて虚構であったこと、SNSで承認欲求を満たそうとすることの恐ろしさなど、みんな薄々と気付いていたことが、よりくっきりと形になって現れた。
今となってはSNSに取り憑かれた女性の転落劇を描いたレディースコミックなんかもたくさんあるし、表に出している情報や表面に見えているものがすべてだと信じ切っている人は、むしろ少数派といえるだろう。
梯久美子さんの『狂うひと』は、島尾敏雄の私小説『死の棘』で描かれた妻・ミホに焦点を当てた、評伝の大作だ。
『死の棘』の妻ミホは、他の女性との情事がほのめかされていた敏雄の日記を目にしたのをきっかけに、気が狂ってしまう。昼夜問わずに夫を責め立て、2人はそれでも別れることができずに、一緒に首を吊る木の枝を探すまでに至る。
「こんなことまで書いて大丈夫なのか?」とこちらが心配になるほどの赤裸々な描写が続くが、『狂うひと』では、そんな『死の棘』でもまだ描かれていなかった真実があったのだと、敏雄とミホという夫婦を別の視点から暴き出す。
真実は2人にしか、あるいは片方にしかわからない
『死の棘』と『狂うひと』を合わせるとすごいボリュームになってしまうので読もうとするとけっこう気合いが必要なのだけど、この2冊からわかるのは、パートナーとの関係における真実は、当事者である2人にしかわからないということだ。
どんなに赤裸々に情報が開示されているように見えようと、2人にしかわからない――あるいは、その2人の間にも片方しか知らない真実があるかもしれない。おしどり夫婦だと思われていた芸能人カップルが離婚することも珍しくないし、外から他人が見たって、実態は何もわからないのだ。
『狂うひと』における話でいえば、「純真で少女的な良き妻・ミホと、ミホを崇め守る夫・敏雄」という構図がかなり作り込まれたものであり、実態はやはりちょっと違っていたということが明らかになる。
ミホが敏雄と出会ったのは25歳で決して少女と呼べるような年齢ではなかったし、教養もありどちらかというと先進的な女性だったミホと、小説内の「無垢で純真」というイメージは実態とかけ離れている。また、小説内では存在感の薄かった敏雄の愛人についても、『狂うひと』ではかなり詳細に書かれているのだ。
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