まだ答えが出てない「セックスレス」問題

 中村さんは、このエピソードをセックスレスの話題へとつなげていく。「お勤め営業セックス」でなくとも、家庭で夫から性の対象として見られていない、もう何年も「そういうこと」からは遠ざかっている……という話はよく耳にする(私自身は未婚だけれど)。
おそらく一昔前ならば、家庭内でセックスがなくなれば、妻の気持ちはないものとして、男性側だけが不倫や風俗で性欲を満たせばいいと考えられていたのだろう。キャバクラにも、家庭内でなくなった色気を補給しに来ていると思われる男性客はたくさんいた。

 渡辺ペコさんによるマンガ『1122』などに代表されるように、昨今「セックスレス」はにわかに脚光を浴び出した話題のように思うのだけど、それは今までないものとされてきた自身の性欲に、女性たちがようやく向き合えるようになった証なのかもしれない。男性のそれとまったく同じではないにしろ、女性にも性欲は「ある」のだ。

 しかし、夫や好きな相手から性の対象として見られなくなってしまった女性が、自身の性欲をどう満たしていけばいいのかはまだ答えが出ていない。妊娠のリスクがあり、そもそも性の対象にできる人数が男性に比べて圧倒的に少ない女性にとって、「風俗」はやはり難しい気がする。だとすれば不倫か、しかしそれも倫理上の問題がある。その気がなくなった夫にセックスを強要するのも、重い言い方をすれば人権侵害だ。
中村うさぎさんの『私という病』はこの女性の性欲のねじれに真摯に向き合っているエッセイだと思うし、渡辺ペコさんの『1122』も、今後の展開が気になるところ。

 女性にだって性欲はあるし、色気のある雰囲気だってほしい。男にはキャバクラと風俗があるけれど、女にはジャニーズと韓流がある――なんていわれるかもしれないけど、キャバクラでデレデレしている男性たちを見て、なんかこいつらずるいよな、と私は思ってしまったのであった。
なかなか興味深い世界なので、本と一緒に一度、水商売もお試しあれ(なんて、いっていいのか?)。

次回は<「そのままのあなたでいい」と、それでも私はいい続けたい >です。
「ありのままの私を好きになってほしい!」婚活などの場面でそう訴えることが甘えのように伝えられる昨今。でも「そのままの自分」の範囲っていったいどこまで?すっぴんパジャマの私と、スーツで仕事に行く自分ってどこからどこまでが「ありのまま」?

初出:2018.8.11