周囲の人間は、鏡の存在だ

平日は仕事をし、たまに友達とお酒を飲んだり、映画や小説を読んだりして、長期休みが取れるとどこか遠くの国へと向かう。ときどき死にたくなったり、何もかもが嫌になったりして、でも大丈夫になったりして、そういうのを含めて「私なんだ」と思っている。

そんな私が、私だと認識できるのは、きっと周りの環境があり、自分の好きなものや好きな人に囲まれながら生活しているからだ。
毎日同じ生活を積み重ねていって、私のことを名前で呼んでくれ、役割を与えてくれるから居場所が増えていき、どんな性格をして、何が好きなのかを知っている人がいるから、たぶん私は自分が今ここにいてもいいのだろうと思えるし、自分がどんな風な人間で、どんな価値を周囲に与えられているのかがわかるのだと思う。
時間や経験を重ねていって、評価してくれる人がいるからこそ、自分の自信にもつながっていくのかもしれない。

GWが明けてまたいつもの生活がはじまると、他にたくさん考えなくてはいけないことに埋もれて、きっとこんな風に思っていたことも忘れてしまう気がする。だけど、仕事や人との関係のなかで自分の役割を見つけて、見合った行動を取っていけばいい。そうすれば、自分の国籍や人格、どんな人間なのかを不安に思うこともずっと少なくなると思う。

1人でいたいとか、1人が好きだとか、そう思えるのも、周りの人が何かしらの価値を与えてくれるからで、どう思われているのかばかりを気にしていたら、きっとこんな風になっていなかった。私が人間関係を手放せず、いつでも手の届くところに置いているのは、自分に対しての自信のなさからなんだろう。

「周囲の人間は、鏡の存在だ」という言葉があって、似たもの同士が集まるという意味らしい。自分が一体どんな人間なのかを教えてくれるのも、周囲の人とか、環境や生活とか、きっとそういう自分の手の届く範囲にあるものなのだと思う。

Text/あたそ

※2018年5月8日に「SOLO」で掲載しました