「自認レゼ」とか言いたいのにどう足掻いても「自認デンジ」32歳

今更ながらチェンソーマン、履修完了しました。ずっと読みたい見たいと思いながら、これ以上好きなものが増えるのは怖いと思い我慢していたチェンソーマン。友達の「見ろよ」の一言であっさり陥落し、まずはアニメ。その後単行本を一気買い。そして舞台は映画館へ……全て一週間以内での出来事です。

いくらなんでもちょろすぎんか? と思いつつ、こんな面白いもん与えられたら理性も何も吹っ飛ぶだろと。仕方ないだろうと、声を大にして言いたい。無理だよ。面白さの前で人間は無力。寝ても覚めてもチェンソーマンのことを考え、常に米津玄師を聞くだけの肉塊へと成り下がった。

ところで、みんなはどのキャラが好き? 私はデンジ。好きっていうか、もはや私自認デンジ。自認レゼかもって汗かきたかったのに、圧倒的に自認デンジで人生詰んだかなと血圧が下がっている。てかさぁ、人間って全員デンジだよね? 以下、単行本22巻までのネタバレを含みながら、なぜ私がデンジなのかを震える手で書き綴ります。

「性的衝動をどうにかしたい」は私にもあった

「胸を触りたい」という夢のためにめちゃくちゃ痛い思いをするデンジを「可愛いわねぇ」って余裕の笑みで見ていられたのはほんの数分だった。膵臓くらい奥まったところで消化を待っていたはずのおぼろげな記憶が私をノックノック、あれ? なんかこういうのもしかして、私、覚えがあるんですか……?

「異性の特定の部位に触れたい」ほど具体的な欲望ではなかったにせよ「性的衝動をどうにかしたい」って夢のために頑張ったことは、私にもある。A君の瞳に映るためにミニスカートを履いたり、B君の興味を引くために映画を見たり、C君を立ち止まらせるべく本を読んだり。A君B君C君に心から恋していたわけではない。ただなんか、アリかもっつーか? 味見してみたいっつーか? こいつが私を目で追ったら気分いいかもしれないな程度の好意だった。

本当に好きな人なんて、そう簡単にできやしない。デンジの言う「俺は俺の事を好きな人が好きだ」っていうとても正直な気持ちはまさにその通りで「好きになってくれたら好きになれそうだから一旦誰か私を好きになってくんないかなぁ」と、若かりし頃の私は日々思っていたような気がする。好きになってくれたらこっちも好きな気がしてきて、結果性的衝動を埋められるかもしんないじゃん。今とりあえずこの衝動どうにかしたいから、サクッと惚れてくんない? なんて言えるわけはなく、そしてそういう自分の気持ちに気づくこともなく、ただ漠然と花粉を撒いてみる日々が、私には確かにあった。

人の体を動かすのは、不埒なもの

撒くのはそれなりに大変なことだったように思う。ミニスカートは寒いし、映画を見るのも本を読むのもお金と時間がかかる。飲み会はいつも楽しいわけじゃないし、花粉だと思って撒いたのが自分のカサブタで、なんかすごい血が出たこともある。だけどその全てが、なんだかんだ楽しかった。楽しいと感じることができていた。それはなぜって、だって全部、気持ちの良い時間につながる可能性を秘めていたからだ。

その為なら、身体は驚くほど機敏に動いた。単に若かったって言うのもあるけれど、それを差し引いてもタフで柔軟。仕事のためにあんなに頑張ることができるかと問われたら、私は即座に無理と答えてしまうだろう。そういう自分が嫌になる。恥ずかしくてたまらない。だけど実際、本当に心から「世界平和」を祈って身を粉にできる人がどれだけいるだろう。清く正しい夢のために永遠に走れる人は確かにいる。いるっちゃいるけど少ないから、その人たちは偉人なのだ。体を動かすエネルギーなんて、突き詰めてったら結構不埒なもんなんじゃないのと、この年にしてようやく気がつくことができた。それが人生にとって良き発見なのかはわからないけど。