主語を思いっきりでかくして言うが、カップリングものの二次創作をやっている人間は、だいたい「名前の付けられない関係」が大好きである。
それは当然といえば当然で、カップリング二次創作をやっている人間とは、原作で同じコマに出てきた程度の関係でしかない推しAと推しBに対して「もしもこの2人が連れ立ってランチを食べたら」「映画を観に行ったら」「一緒に暮らし始めたら」と妄想をどんどん膨らまし、100ページ超えのマンガを描いたり10万字の小説を書いたりする人種である。AとBの関係を「恋人」「友達」の一言で済ますわけがないのだ。
ただ一方で、2人の人物をメインに物語を作る際、最終的になんとなく「付き合うことになって恋人」か「結婚して夫婦」に決着させてしまったほうが話の収まりがいい、という事情もある。「名前の付けられない関係」を99ページやり、最後の落とし所として「こうして2人は付き合って結婚しました!めでたし!」を100ページ目でやると、正直なところ私は興醒めするが、しかしではどういう結末がふさわしいのか?と問われると確かに難しく、頭を抱えてしまう。
もちろん素人が趣味でやっている二次創作なのだから100ページ目で何をやろうと作者の勝手だが、商業作品でも、こういった「恋愛関係になってとりあえずハッピー!」な結末を迎える作品は珍しくない。
恋人にも夫婦にも決着しない、しかし友情というには濃厚すぎる2人の人間の関係――そんなもの描けるのか、そもそも存在し得るのか。松浦理英子さんの『裏ヴァージョン』は、私たちにそんな2人の関係を示してくれる稀有な小説である。
太字でコメントする毒マロ主は誰?
『裏ヴァージョン』 は、ちょっと奇抜な構成の小説だ。SMやレズビアンをテーマにした短編小説が何作か続くが、その文末に必ず太字でコメントが入っている。
「何なの、これは? 誰がホラー小説書けって言った?(中略)もっと真面目にやれ!」(p.18)。
このコメントはなんなのだろう……もしかして、「毒マロ」?
短編小説を読みながら読者は、この短編小説の執筆者と、毒マロ主の関係を探ることになる(『裏ヴァージョン』は2000年初版発行の作品なので、正確には毒マロではないです)。
※毒マロとは匿名ツール「マシュマロ」で送られる誹謗中傷のこと(編集部注)読み進めていくうちに、短編小説の執筆者である昌子は、毒マロ主である鈴子の家に居候させてもらっており、2人の関係は高校時代の同級生であることが明らかになっていく。昌子は鈴子の家に住む家賃の代わりとして、鈴子に要求されて小説を書いているのだ。ちなみに、2人とも40歳の独身女性である。
最初は1〜2行だった毒マロは、短編小説が続くにつれやがて「質問状」となり、小説を介さない昌子と鈴子の応酬へ変わる。鈴子の口調はどんどん激しいものになっていくが、昌子も言われるがままではなく、なかなか刺々しく反論する。
同じ家に住んでいるんだから直接会話すればいいのにと思うが、この2人はなぜかフロッピーディスクを経由したテキストメッセージでやりとりをしている……2人とも、重度のオタクなのである。私も会話よりテキストメッセージでやりとりしたい派なので、これは気持ちがわかりすぎて笑ってしまった。
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