人を疑う心を変えてくれた友人の言葉
私は自己愛がかなり強いタイプなのだと思う。きっと信頼されているという実感がないまま大人になってしまったから、人と深く関われない。その態度が透けて見えて、「誰のことも信じていない」と周囲の人から言われてしまう。常に他者のことを心のどこかで疑ってしまっている自分がいる。
人間関係に対するコンプレックスが異常に強いから、感情をぶつけることもできないし、悩み相談・弱音を吐くこともできない。自分なりに空気を読んで、その場に合った会話をする。それも自分が誰かから「つまらない」「残念だな」と思われるのが怖いからだ。「面白いと思われたい」「せっかく一緒に遊んでいるのだから楽しんでほしい」だなんて、詭弁だ。本当は、失望されることが何よりも怖い。
以前一度、この友人に「私は、誰かとの縁を『いつか切れてしまうもの』『そのうち失望されてしまう』と心のどこかで思ってしまっていて、たまに不安になる」という話をしたことがある。友人は、「その可能性はあるけれど、相手にどう思われるかより、自分がどう思うかを大切にしたいから、不安という形でとらえていない」と言われた。私は、人との関係で同じ不安を抱えたときに、いつもこの言葉を思い出すようにしている。何度も思い出して、私もそうでありたいと思った。
「興味のある人・大切な人は、自分から切ったりしない」とも言っていた。友人にとって、私は大切な人なのだろうか。そうだとして、まだ大切な人でいられるのだろうか。この時の言葉たちは、失言をして傷つけてしまった私に対しても有効なのだろうか。どれだけLINEを見ても、やっぱり既読にはならない。もうどうにもならないのかもしれない。許してほしい。また話がしたかった。でも、これも自分のエゴだ。待ち続けるしかできない。
(と、大層なことを書いてみたけれど、4時間後くらいに返信が来て、仲直りすることができました。すみません……。)
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