以前、男友達に「この女、ヤベーって思うのってどんな女?」と尋ねたところ「切り裂かれている人」という答えが返って来たことがありました。切り裂かれているというのは、手首がズタズタだとか、服がボロボロとかそういうわけではなく、自分の理想と、いま置かれている現実が違うことを不服に思っていて、「本当のわたしは違う」と考えている女性だという。ようするに心が切り裂かれているということらしく、わかった感じのことを言うじゃねーか、と感心した覚えがあります。
興味深かったので「なぜ切り裂かれてしまうか」について話し合ったところ、自己評価の高さに才能が伴っていないとか、承認欲求が激しいわりに主体性がないとか、そういうことが原因ではないかという結論に至った。なんだかつらい……と思ったのは、まだ執筆だけでは食えなくて出版社でバイトをして日々パワハラとセクハラを受けていた頃は、わたしもまた理想と現実に切り裂かれ、毎日会社のトイレで「こんな場所にいたくない……」と泣き濡れていたからです。会議中にズボン降ろしてオナニー始める上司の下でなんて働きたくなくて当然といえば当然ですけども。
この場所から脱したい、本当のわたしを実現させたい、そう思うことを原動力にしてやってきて、幸運にも今は十分に満足な場所に辿りつけたわけなので、切り裂かれている女性を見ると「がんばれ~!」と思ってしまうし「できるよ~!」とも思う。何かをしたくて、でもその人がそれを成し遂げられておらず切り裂かれていたとしても、同じ女であるからフラットであってリスペクトを持って付き合いたい。そんなふうな理想を掲げてこれまで生きてきたつもりなんですが、必ずしもそういうマインドでもいられない現実もある。
そんなマインドを持てないときもある
どうしてその事実に気が付いてしまったかというと、あれは数年前のことでした。ちょっといろいろあって嫌な目に合わされた女性の悪口を、女友達に愚痴っていたところ、良識のある女友達たちが「いやー、ひどい。つらい目にあったね。りかさんは悪くないよ」とわたしには非がないことを指摘する形で慰めてくれている中、ひとり口の悪い女性が「わー、あのブス、ムカツク!」とディスったのです。
その瞬間に正直なところスッと胸がすいたというか、100の慰めの言葉よりも癒されてしまった自分がいた。感情が理想をあっさりと蹴散らしてしまうことを知ったことで、「あー、もう仕方がないな」と肩の力が抜けた気がした。もちろん理想は理想として追っていきたいけど、切り裂かれるくらいなら理想を降ろしてもいい。最近はそういう気持ちで生きています。
Text/大泉りか