今日は、フィールドワークの一環で、何かと話題になっている映画を観てきました。
リリー・フランキー氏がPR隊長を担当している
性行動依存症の男性の物語。
『SHAME –シェイム-』
https://shame.gaga.ne.jp/
R18(18禁)ということで、過激な性描写が話題となっていますが、
実際に観てみると、映像美、音楽が素晴らしく、
まるで曇り空の写真集をながめているような気分になります。
監督が、映画だけではなく、写真畑だからだそうで、納得の作品。
前日に、六本木アートナイトで、知人の
中島ノブ氏の神がかりなピアノ演奏を聴いたばかりだったので、
いつになく、耳がこえております。
湿気のある劇中曲が、心に沁み入りました。
ハリウッド映画が好みの方には、「へ?」と拍子抜けするラストシーンも
「行間を読む」映画が好きな方や映画の醸す世界観を重視する方には、
高評価な作品だというのも、うなずけます。
主人公は、性行動依存症という設定。
自分の危うい精神のバランスをとるかのように、
仕事と性行動を繰り返す毎日を淡々と過ごしています。
劇中では、食事シーンがあるのですが、
テイクアウトのチャイニーズ。
白砂糖入りのコーヒー。
デート中のレストランでは、メニューもワインの種類にも無頓着。
食と性は命を繋ぐ行為。
命を食べ、命をバトンリレーしていきます。
食と性は、繋がっていますが、主人公の食生活の描写は、
食と性行動に問題がある主人公の特徴が秀逸に描かれていました。
事務的に食事に摂取すればいいと思っていて、
「食」にも「触」にも、「楽しさ」「幸福感」を全く見出していない。
そして、主人公が常飲している、白砂糖もコーヒーもどちらも依存性の高い嗜好品。
その偏り方からも精神状態が伺えます。
性描写も、好きで行為を繰り返しているのではなく、
表情はものかなしく、胸が苦しくなるような表情で、黙々と行います。
自分の「恥」への「罰」を与えるように。
「生」きるために、「性」行動を行う。
観終わった後に、じわじわとくる作品です。
私も、鑑賞後のカフェで自分なりの「行間」をイメージし、
最終的に私の頭の中でストーリーを完結させました。
私なりの解釈ですが、
もっとも愛する人に「性欲」を感じてはいけないという自戒から、
「愛」を意識すると、アルコールやドラッグで勢いづけても、
カラダがいうことをきかず、行為に及べない主人公。
彼が愛のない性行動を繰り返せば繰り返すほど、
それは、愛情を注ぎたい「人物」への鎮魂歌となる。
「愛なら、毎晩、ティッシュに包んで、捨てている」
その言葉通りに、彼は性行動に愛を発生させてはいけないと、自分を追い詰めています。
本来、愛情確認である性行動に「愛」を見出してはいけない。
と、思いつめるその思考、切迫感が「依存症」から抜け出せない、思考回路なのでしょう。
NYという街、エリートサラリーマンと流しのミュージシャン、性癖、セクシャルマイノリティ、人種。
さまざまな差別意識がいたるところに盛り込まれていて、唸ります。
監督がゲイということもあり、
後半のシーンでクラブのゲイイベントの描写もありました。
性の奥底にあるものを見つめたい方は、どうぞ、唸ってください。
「秀逸」
その言葉をこの作品に捧げます。