社会学者・宮台真司さんへ「脱いいね!」に関するインタビューを行いました。第1回の「自分はイケてるぞアピールからは腐臭がただよう…“見るに耐えない”コミュニケーション 」に続き第2回はオンラインでの見るに耐えないコミュニケーションをしてしまう動機にせまります。脱いいね! への道のベースとして、ぜひお読みください。あなたも“認められていない”感覚を抱いていませんか?
自分の見栄えをコントロールする自信がない人にとって、
オンラインは願ったり叶ったりの世界
宮台:日本の膨大な「釣られ層」や「クレージークレーマー層」の背後には、たとえ「浅ましさ」を自覚していても抑えられないほどの「埋め合わせ動機」があるのだと言いましたが、「認められていない」という感覚を抱く者が、それ程にまで多いということでしょう。
背後には、ネット上は「万人平等」に見えるので「分相応」の観念が機能しにくいこともありますが、とりわけ大切なのはオフライン(対面)では自分のアピアランス(見え方)を思うようにコントロールできない者が、ネット上だとコントロールできると思えることです。
ネットのコミュニケーションは、現在実用化されたテクノロジーの範囲内では、オフラインに比べると情報量が圧倒的に少なく、文字ベースの情報のやりとりしかないので、自分の持つコミュニケーション上の困難を隠すことができそうに思えるということが、ポイントです。
第1に〈表出の困難〉を隠せる、つまり手が震えるとか目を見て喋れないといったことを隠せるし、第2に〈尊厳の困難〉を隠せます。新約聖書の福音書に、イエスは故郷では奇跡を行えなかったとありますが、「たかが大工のせがれだろう」などと言われてしまうからです。
20年ほど前、僕が母校の麻布学園で講演をした際、講演直前に職員室に挨拶に行ったら「なんだ宮台、えらそうじゃねえか」と言われて講演がすごくやりづらくなりましたが(笑)、過去の醜態を知っている人々を前にすると、人は梯子を外されるのを怖がりがちなんですね。
〈表出の困難〉と〈尊厳の困難〉を覆い隠せるように見える、匿名性を含めたネットの情報過少性は、とりわけ自分の見栄えをコントロールする自信がなく、過去のイメージを上書きするだけのコミュニケーションをする自信がない人にとって、願ったり叶ったりなんですね。
前回も申し上げたように、情報過少性の蔭に自分を隠して安心する人々がとりわけ多いという事実は、日本的なことです。データ的には、アメリカの匿名掲示板4chnnelの利用者は2ちゃんねるの3分の1以下、おそらくは5分の1以下。欧州各国はさらに少ないでしょう。
ちなみにデータを紹介すると、4channelも2ちゃんねるも月間利用者数はピーク時で1200万人前後ですが、アメリカの人口は日本の3倍弱で、4channelはアメリカに限らず英語話者が使うものです。第2言語圏に流暢な話者を加えると、世界に15億人の英語人口がいます。
さて、匿名性を含めた情報過少性を利用して居丈高になれば、〈表出の困難〉と〈尊厳の困難〉を克服しようとしていると思われてしまうというのが、前回紹介したようにアメリカ人たちが述懐する「常識」でした。僕は日本的状況の背後に、学校の教室問題があると睨みます。
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