暴力が蔓延する国だからこそ
社会に暴力が蔓延する国だからこそ、「絶対に許さない」というスローガンが必要なのだと思います。 男性が女性に振るうもの、大人が子どもに振るうもの……。 物理的な力と社会的な力が(あくまで平均ですが)強い人間が弱い人間にものは、現実にあるからこそ「絶対に容認してはいけない」という「ポーズ」が必要。
フランス人女性は女性に対する暴力に非常に敏感で、00年代に死亡者調査が政府によって発表されたとき、政府内の女性たちがすぐに行動を起こし、政策に着手しました。 ある市では「zero tolerence」をスローガンに掲げ、いかなる暴力も家庭内でふるってはいけないと定め、少しの身体的暴力も、言葉による攻撃でさえも、取締の対象とし、刑務所に入れることすらできるようにしました。 天下の暴力国家、米国でも同じこと。 暴力と制圧に関して辛辣な皮肉を描くバッドマン映画『ダークナイト』の最新作に関し、インタビューを受けたキャットウーマン役のアン・ハサウェイは、あえて映画のプロモーションであるにも関わらず、こう言っています。
「大抵仕事の交渉決裂の原因になるのは、意味のない暴力よ」 こうエクスキューズしないと、「暴力的」に映る出演映画と自らのプロモーションに関してマイナスになると思ってのことか、もしくは非常に残酷なシーンを持ちながら、人間社会の暴力性を哲学的に語る映画を「意味のない暴力」とされるのを避けるためかはわかりませんが、「暴力」への自らの立場をはっきりさせました。 それに比べ日本人女性は、暴力に寛容。
WHOが2005年、家庭内暴力の改善措置が必要な国15か国を見繕い調査しました。 「ここ、DVの状況酷そうじゃね?」とみなされたワースト15中(並びはマッチョで有名なアフリカ諸国と中東諸国)に入っているということ自体、恥ずかしいですが、まあそういうことでしょう。
その中で、家庭内での暴力にどれだけ夫が関わっているかのグラフがありました。 つまり、「夫だから殴ってもいい」と考える傾向がどれだけ高いかの調査です。 「夫による被害」で「その他の男性による被害」を割るのですが、日本は2.7倍。
この数はDV数が多い、エチオピア、中東諸国と比べても小さくない。 夫が妻に暴力を振るうことは「仕方がない」と思っていると考えると、日本の女性は恋愛関係でどれだけの危険にさらされているのかと、そら恐ろしくなりました。 社会に暴力が蔓延していない分、自分がその被害に遭った時に、それが如何に恐ろしいことかを実感できないからかもしれません。 目の前で交通事故を目撃したことがない人は、交通事故に遭った時、それが他の事故と比べてどれだけ重いのか、それとも軽いのか自分では判断できないのと同じことです。 「平和な国でありがたやありがたや」で終わらせてはいけないこと。
格差が広がり、世の中が殺伐としてきたように見えるからこそ、イノセントな国では、その芽を意識的に潰しておかないと、あっという間にカップル感での暴力はエスカレートしていきますから。 女性がパートナーにより、フランスのようにどんどん殺されていく前に、「日本の女性は家庭内でも暴力も許しません」と標榜しておいて、悪いことはないと思いますが、いかがでしょう。 「人間失格」なニート夫による被害をツイッター上に晒しておきながら、「(夫と)別れるつもりはありません」などとほざいる場合ではありません。
Text/Keiichi Koyama
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