沖縄人男性の“ハーラーリー”=「しまりがない」!?

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 那覇について直後、沖縄の女性史資料を得るため、女性センターを訪れました。離婚率の高さと出生率の高さの現地での調査結果の詳細を調べるためです。が、そこで思わぬ収穫がありました。

 資料を閲覧のありかを知るため、職員の方に声をかけると非常に丁寧に対応していただいたので、つい現地の方の声をききたくて質問してしまいました。資料を探してもらった上に生の声を聞き出そうとは、図々しいにもほどがあります、我ながら。

―離婚率がとびぬけて高いと聞きますけど、なんでなんですかねぇ?
「失業率の高さと所得の低さが原因……って内閣府の調査では言ってますけど……」
―ですけど? 奥歯にものの詰まった言い方をされたので、自分のS根性がうずきました。え?でも? なんかあるんですね? 言っちまいな!(あ、最後の一言は心の声です)
「私の実感としては、なんていうんですかねぇ、言いにくいですけどいい加減さというか、あんまり考えてないというか……」
―いい加減? 具体的には? 吐いておしまい!(しつこいようですが、最後の一言は心の声です)
「なんとかなってしまうんですよ、所得が低くても自立心がなくても。家族が近くに住んでいて、地元の人とずっと一緒に同じところに住んでいるから。相互扶助の社会なので、離婚してもなんとかなる」。

 おお、そりゃいい社会だ……と納得していたら、そこにツツツと入ってきたおばあさんがひとりで資料を読んでいました。80代くらい、いやもしかしたら90代かもしれない雰囲気。でも、はつらつとしています。これはいいチャンス! 自分もツツツと彼女に近づき、あの、沖縄の男の人って実際どうなんすか? と声をかけたら、話す話す、そのおばあちゃん。ところどころ沖縄の言葉で聞き取るのが結構大変で、何度も聞き直してしまいごめんなさい。

 「沖縄男ってね“ハーラーリー”って言ってね、いい加減なの。特に女性に。どれだけ苦労したことか。お金持ってれば外に女性を作ることはあるだろうけど、お金持ってなくてもそれが当然なのよ。あんたなんか、女の人大事にしそうだけど、東京あたりの人だとわかんないかもしれないけど、沖縄の男の恋人とか結婚するとかっていう感覚は、多分本土とかなり違うのよ。だからね、女はしっかりしてないと生きていけないし、しっかりしてない女は沖縄の人間とはうまくいかない」

 おばあちゃんの過去に何があったのか、そのほうが気になったのですが、調べるとどうやら、“ハーラーリー”は「しまりがない」という意味だそうです。その「しまりのなさ」は琉球王国時代にまでさかのぼり、“ジュリ(=遊郭)”に外国人が訪れないようにするため、しめしがつくようにまず官僚たちに「ジュリ通い禁止」を徹底させようとしたものの、3日と続かなかったそうです。

 男なんだからいいじゃないか。
こういう性的欲求に関する、男のみに偏った“ゆるさ”の根底はマチズモです。強烈なマチズモです。
男は強く、女は弱い存在。

 その証拠に資料室で読んだ職業観に関する調査報告書をまとめると、那覇の男性たちの意見はこんな感じ。 「妻には働いてもらいたい。ただ、自分が十分に一家を養える給料をもらえるのであれば、家にいてほしい」

 ええと、それはご都合主義というもので…。

 本土のフランス人がコルシカ人を揶揄するときにも同じような描かれ方をします。
「見栄っ張りで、暴力的で、妻に対してマッチョ」。

フランスの放送局TF1でマッチョ特集をしていたときにコルシカのカップルが取り上げられていた映像がこれ。

je suis macho et alors ! – Couple Corse – confessions intimes TF1 from emermont on Vimeo.

アップした人がつけたのか、タイトルが笑えます。
「自分、マッチョですが何か?」
 こういうの見ると、イラッとしますねw
(ぶっちゃけますと、自分の親戚の沖縄人男性もDV男です。ただ今、離婚闘争中です(あ、言っちゃった。まあいいか、DV男だし。笑いごとでは、ちっともないけれど)

 で、こんなマッチョな男性のご都合主義が生まれる土壌に「家族」が大きく関わっていると思ったのですが、その理由は後編で……。

Text/Keiichi Koyama