すべては「しっとり」のために

 思えば、私たちはなぜ瞼に「濡れたようなツヤ」を出すと評判のアイシャドウを塗りたくるのか。なぜボディクリームで全身を保湿しようとするのか。すべてはこの「しっとり」のため、もっと直接的に言えば、しっとり濡れている=生殖可能な身体であることを示すためである。
ハンドクリームなどなくして手が潤いに満ちており、かつその潤いをテスト用紙にまで与えてしまう亜美さんを私が「エロっ!!!」と思ったのは、このようなことを根拠に説明できる。

 ……が、亜美さんの話だけで終わってしまうのも情けないので、せっかくなので文学・美術方面からも考えてみよう。
「色気のある女」と言われたとき私の頭にまず思い浮かぶのは、オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』に登場する主人公、サロメである。

 義理の父親ヘロデ・アンティパスの前で魅惑的な舞いを踊り、惚れた男・洗礼者ヨハネの首を差し出すよう求めるサロメはさながら、「男を狂わす女、運命の女(ファム・ファタール)」の代名詞のように語られる。
イエスに洗礼をさずけた聖者を破滅へ導いた稀代の悪女として、キリスト教世界に与えたインパクトが大きかったせいだろう。サロメの物語はときに危うい魅力となって、数々の芸術家の想像力をかきたてた。

 ワイルド原作のサロメはちょっと幼く少女らしい面があり、どちらかというと男性である洗礼者ヨハネのほうがお色気ムンムンだ。なので私的にグッとくるのは、『サロメ』をもとにギュスターヴ・モローが独自の想像力を働かせて描いた絵画のサロメのほうで、見てわかるとおり彼女は何とも危険な魅力に満ちている。

 全身にタトゥーが入った身体は退廃的な雰囲気を感じさせるとともにやっぱり「むちむち」しているし、さらにモローの筆はサロメに淫靡な潤いをまとわせ、事後のように「しっとり」と上気した汗が観る者を魅了している。こんな女に色仕掛けをされたら、男女関係なく腰から崩れ落ちてしまうだろう。

 もう何年も前の話になるが、パリ・モンマルトルにあるモロー美術館でこの『サロメ』を観たとき、私は亜美さんを前にしたときと同じように「エロっ!!!」と(心の中で)叫んでしまった。
絵画の世界であっても「むちむち・しっとり」で色気は説明可能なのである。

 お店に来る男性だけでなく、少女らしい振る舞いと気配りでママにもしっかり信頼されていた亜美さん。しっとりした手をニギニギして男性を虜にしたその後は、今度ママに連れていってもらうラスベガスの話を楽しそうにしていた。
「いいなあ、ラスベガス……」と私は指を咥えながら聞いていたわけだが、最近の私は手が乾燥してスーパーの袋がなかなか開けないので、「色気」を獲得するために、まずはハンドクリームで保湿するところから始めなければならない。

Text/チェコ好き