「ビジネスクズ」の活躍は男たちの最後の遠吠え
坂上忍が最初に再注目されたのは、たしか2011年の『アウト×デラックス』の特番だったと思う。
「働きたくない」「ヒモになりたい」「ブスが嫌い」「ギャンブル好き」「極度の潔癖性」……。
まあ、おおよそ好感度というものの極北にあるような「ダメ男」要素、「性格悪い」ファクターを臆面もなく口に出し、ナイナイ矢部から「アウトーーー!」の烙印を押されていた。
この『アウト×デラックス』という番組自体、これまでテレビが勝手に自粛して勝手に「アウト」にしていた人たちを再び俎上にのせ、「こんな人もテレビに出しちゃうなんて新しいでしょ」とレッテルを貼り直すという、倒錯したおもしろさをねつ造・再生産することで成立しているわけで、秀逸さと自家中毒の間から生まれ落ちた鬼っ子のような番組なんだけど。
で、俺が坂上忍の再ブレイクについて興味深いなあと思うのは、まさにこの「アウト」というレッテルのねつ造によってまかり通っている何か、なのですね。
「ブスをブスと言って何が悪い」という、いまやテレビでは言えなくなった、ある種の人たちにとっての本音が、「でも、この人は“アウト”だから」というエクスキューズによって許されている、という構造を感じるわけです。
話がわかりにくいなら、“ある種の人たち”というのを、“旧来の男性性を振りかざしていた人たち”と言い換えてもいい。
つまり、多くの「オネエキャラ」や「毒舌キャラ」がそうであったように、坂上忍もまた、当初はただの「性格の悪いダメ男」だったのが、ある時期を境に「言いにくい正論を言えちゃう人(だって俺クズだし空気読めないから)」という立ち位置に変わってきたと思うんですよ。
『アウト×デラックス』を飛び立ち、他の番組に出演するようになって、その傾向はさらに顕著になってきた気がするわけで。
ま、この「本音」や「正論」というのが、あくまで“ある種の人たち”にとっての保守的な言説にすぎない、というのがミソなんですけどね。
ああ、もはや男たちが「強さ」や「男らしさ」だと思っていたものは、「アウトなクズの言うことですから…」という卑屈で姑息な隠れ蓑を通してしか主張できなくなっているのだな、という時代の波をひしひしと感じるのです。
私が彼を「ビジネスクズ」と呼ぶ所以が、ここにあります。
そういえば、同じ『アウト×デラックス』では、マイケル富岡が女性を12股しているという、昔なら「男の武勇伝」的に語られたであろうエピソードが、やはり「アウトなクズ話」としてテレビ的にありになっていたし。
一時期話題になったビッグダディも、本人はある程度ガチなのかもしれないけど、あれはもう、「父権」というものを戯画化して笑っちゃってください、というパロディ的な見せ物でしょ。
彼らのような新型の「ダメ男」たちが、メディアの中で「ビジネスクズ」という役割を背負っているのを見ると、なんだか「男性性」や「父権」というものの最後の遠吠えを聞いているようで、情けないような切ないような哀愁を感じてやまないのでした。
Text/福田フクスケ
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