一度エロをしてしまうとその後の人間関係が完全にぶっ壊れる、ということはよくある。だが、まったくそうならないこともある。今朝、僕のところに18年ぶりにメールが来た。僕が22歳、彼女が30歳のときにエロをしたヒロコさんからだった。
僕も今は時々メディアに登場するようなデザイナーになっているため、「記事見ましたよ」という連絡だった。「このメールアドレス、まだ生きているのか分からなかったけど書いてみました」とあった。現在僕は40歳、彼女は48歳だ。彼女のメールを見ながら、あの日のエロい体験を思い出してしまった。
2人で乗り越えた激務の思い出
当時、僕らはフリーのエディトリアルデザイナーでとあるムック(1テーマの不定期刊行誌)のデザインを担当した。それなりに名の知られたデザイナーの事務所に出版社から1冊丸ごと仕事を渡され、それを同社の社長は部下とあとは外部のフリーのデザイナーである我々2人に外注していた。
僕とヒロコさんは、全部で128ページあるうちの32ページずつ担当することになった。デザイン料は1ページ5000円で、ただ文字を流し込むだけだったら楽だったのだが、罠があった。この事務所の社員がその手のページを担当したのだが、「懐かし缶ジュース大百科」や「昭和の名作CM集50」などとにかく写真の点数が多い。キャプションと写真を間違える恐れがある企画や、やたらと表を作らなくてはならないページを我々2人が担当することになった。
事務所で打ち合わせをした後、僕とヒロコさんは外に出て夕暮れの中、東急東横線の都立大学前の駅に向かってとぼとぼと歩いた。二人とも今回のページの煩雑さと手間の凄まじさにすっかり怖気づいてしまったようだ。ガード下に焼き鳥屋があったため、「ちょっと一杯飲んでいきますか……」ということになった。
2人してビールを飲み、焼き鳥を2本ずつ頼んだのだが、なんとも意気消沈する飲み会になった。この日我々は初対面。当時キラキラしていた雲の上のような人からもらった仕事なので意気揚々と打ち合わせに行ったものの、貰った仕事は手間がかかりギャラも安い。
僕は高校卒業後、2年間デザインの専門学校に通い、その後2年間小さなデザイン事務所で働いていたのだが、結局「やりがい搾取」で社長だけが儲かるシステムになっていたため独立したのだ。会社員時代の月給は14万円だったため、今回16万円貰えるのは嬉しかったものの、とんでもなく長時間働くことになるのは目に見えていた。
校了直前には、編集者からの猛烈な修正依頼が入り、てんてこまいになることだろう。さらには、そもそも「素材」(写真、文章、「ラフ」と呼ばれる設計図)さえ、校了の数日前に五月雨式にやってくることが目に見えていた。打ち合わせでは編集者に校了の14日前には全部揃えるように、と伝えたが、これまでの経験上、そうした約束を守る編集者は皆無だった。
この日会った編集者3人もその手のタイプで、ヒロコさんも僕も「こりゃ、最後の5日間が地獄になる……」ということは理解していた。
「ニノミヤさん、この仕事、けっこうヤバいの受けちゃいましたね……」
「そうですね。イヤなニオイがプンプンします」
我々は気が乗らないながらも、この日は生ビール2杯ずつ飲み、「じゃあ、まぁ、色々連絡撮り合いながらやりましょう。もしも手に負えない場合は互いに助け合いながらやりましょう」ということになった。
そして校了の14日前、編集者からは一切の素材が届かない。ヒロコさんにメールを書いてみた。
「何か素材は届きましたか?」
「全然、です……」
結局五月雨式に素材が届き始めたのは校了の8日前。ここからできるところだけは進めたのだが、「懐かし缶ジュース大百科」はいくつの商品が紹介されるか分からないうえに、編集者もどんなコラムをそこに入れたいのかが決めかねているようだった。いくつか素材はもらったものの、特集の最初のページにドーンとすでにもらっている缶を載せたとしても、恐らく編集者は「こっちの缶に変えて!」などと言ってくるだろう。
結局、編集者から届いた素材は…
そして7日前、6日前と少しずつ素材は届き始め、作業は継続していたのだが5日前にドッカーンと全部の素材が2人の元には届いた。僕はすぐにヒロコさんに電話した。
「ヒロコさん、ちょっと尋常じゃない量が来ました」
「私もです」
「ヤバいですね、コレ……」
この状況を打開するにはこれしかない。ヒロコさんはこう言った。
「今からニノミヤさんの家に行きます。とにかく2人で一気に各特集ごとに作り、それを個々の担当編集者に回さなきゃ終わらないと思います。もう、最初の役割分担は忘れて、とにかく今日を含めて4日で全部の作業を終わらせましょう」
というわけで、元々は互いに別の企画をするはずだったのだが、編集者からの「まだですか~」攻撃の殺到を避けるためには、一つひとつ潰していった方が効率が良いと考えた。この案は良いと思ったため、彼女の提案は理にかなっていた。2時間後、ヒロコさんはMacを持って僕のアパートへ。
お互いが持っている素材をすべて封筒に特集ごとに入れ、まずは缶ジュースの特集(6ページ)を作り始めた。通常、デザインをするときはタイトルや表を作り、写真を配置し、文字量だけを指定するやり方だが、今回はもう時間がないため、一気に文字も流し込むやり方にした。
2人で「この写真はニノミヤさん入れて!」や「ヒロコさん、スキャンお願いします!」などと協力し合えば意外とスムーズに仕事は進む。
こうしてこの日はぶっ続けで深夜3時まで作業をし、仮眠を取ることになった。僕は床に寝袋で寝て、ヒロコさんにベッドを譲った。
校了日とその前日は最終確認のためそこまで作業はできない。よって、全64ページを実質3日で作るわけだが、なんとか3日間僕の家で「合宿」をしてすべてのページは完成した。
4日目の朝5時、まったく風呂に入らぬまま我々は仕事を終え、泥のように寝る。午後1時に起きたらすぐに編集者が我が家にやってきて最後の修正指示をする。
「うわ、なんかこの部屋クサいですね!」と女の編集者が言った。
お前らの無茶振りと仕事の遅さのせいだよ! と言いたくなったが、そんなことを言っても仕方がないので、修正指示を受け、翌日の校了までにすべて直すことを約束した。全編集者との打ち合わせを終えたら19時になっていた。
もう4日も風呂に入っていないためヒロコさんは「ニノミヤさん、一段落ついたから銭湯行きましょうよ」と言った。同じ下着と服を着ていたがそこはあまり気にせず、とにかく風呂に入りたかった。そして、どちらにせよ明日も一日中なんらかの作業はあるため、ここは戦士にも束の間の休息が必要だろう。
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