ビッチとバージンを行き来して男の性を露呈させる芹那
そこで、芹那の問題に立ち返ってみましょう。
「付き合いたい女/ヤりたい女」理論にあてはめてみると、芹那はハッキリと後者です。
あの、鼻にかかった舌ったらずなアニメ声は、言うまでもなく「あのときの声」のメタファー。
男なら誰でも、あの声でいろんなこと(「マンモス象」とか「息抜きしよ」とか「温玉ぶっかけひとつください」とか)を言わせてみたいと想像したことがあるはずです。
Perfumeの“エロス担当”こと(いま勝手に決めた)のっちにどことなく似た「困り顔」系の顔立ちも、そういう意味で男好きのする娼婦性があります。
でも、芹那の顔ってよく見ると、実はかなり中性的で“美少年”っぽい感じもするんですよ。
それに、割れた腹筋の写真がネットで話題になったように、彼女の体はすごく絞られていて、いわゆる肉付きのいいエロティックな体型とも異なります。
まあ、「二次元ロリ的」と言ってしまえばそれまでですが、いまひとつ「ヤリたい女」として扱いきれない処女性を出してくる。
そこが、『ギルガメッシュLIGHT』ではなく、ゴールデンタイムの番組に多数出ることができる芹那のタレント戦略でもあるわけです。
しかし、そんな彼女の存在に、男は「付き合いたい女」と「ヤりたい女」の境界をあらわにされ、その垣根をグズグズにされるような居心地の悪さを感じます。
そして、「芹那が好き」とおおっぴらに言えない理由も、おそらくそこにあるのでしょう。
エロい目で見ている(=性の対象)くせに、なまじアイドルである(=崇拝の対象)ことを隠れ蓑にしている、往生際の悪い感じ。
ビッチが好きなくせにバージンも求めてしまう、男のしょうもない性が露呈されていく、みっともない感じ。
たとえるなら、「オカズとごはんは別」というか、「趣味と実益を兼ねるのはダサい」というか、「好きなことを仕事にしちゃうのって、逆にかっこわるいよね?」みたいな不文律が男にはあって。
「芹那が好きだ」と言ってしまえる男は、そのタブーを犯している気がして、“かえってなんか生々しい”印象を与えてしまうのです。
今回、ネタかぶりを恐れるあまり、非常にわかりづらい観念の世界へと突入してしまった気がするのですが、みなさん、ついてきてくれましたか?
私は、だいぶ沖合いに漕ぎ出してきてしまった気持ちでいっぱいです。
だいじょうぶ、ひとりで岸まで泳いで戻れますから。
泣いてなんかいません。
Text/Fukusuke Fukuda
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