私たちは「待つ」ことから逃れられない
Pixabay
駅のホームに降りて、電車を待つこと約4分。有効活用しているといえば聞こえはいいけど、その4分でSNSを見たりニュースを読んだり、LINEを返信するなどして埋めている人は決して少なくないだろう。
スマホがなかった時代、人はこの「たった4分」を、どう埋めていたんだろうと思う。今となっては、私たちにとって「たった4分」は、じっとして待っていることのできないとてつもなく長い時間になってしまった。
それと関係があるのかないのかわからないけど、今の30代以下の世代は、意思決定がめちゃ早い。人に本を勧められればその場でポチり、旅行も企画もその他やりたいことも、思いついたら即実行。お金がなくて難しければ、自分で貯めてもいいけれど、クラウドファンディングで集めちゃえばいいのだ。
ただ、どんなにテクノロジーが発達しても、意思決定にかかる時間が短くなっても、私たちは「待つ」ことから完全に逃れることはできない──なんて、カッコつけてしまったけど、ようは「スマホの性能がどれだけ上がっても、『待つ』時間を極限まで減らせる新しいサービスが登場しても、好きな人からの返事がすぐに返ってくるようになるわけじゃないよね」ってことが言いたい。
資格試験の結果、採用通知、友人からの返事、仕事の連絡…私たちはいつも何かに「待たされている」。メールが来ていないかと、何度もセンター問い合わせ(※この言葉を知らない人はググってください)していた頃と、あまり変わっていない。