何もかも教えてあげたい

仕事先で知り合ったバブ君は、いつも不満げに立っていた。退屈そうな眼差し。暇を持て余した結果起こる貧乏ゆすり。三十秒ごとにむしるささくれ。その全てに既視感があって、あれ、前もどこかの現場で会ったっけ? 違う。これは、この姿は、土曜日に家族でコストコに行くときの後部座席にいる中学2年生だ! うわ〜懐かしい! 片耳だけ刺さったままのイヤホンで聴いてるのは、マキシマムザホルモンでちゅか? 今聞く必要ありまちゅか? 23歳にもなって…バブ君、あなたは今も中学生のままなのでちゅか? 可愛すぎる。知りたい。君が本当に赤ちゃんなのか知りたい。

話しかけてみようと思った。時刻はちょうどお昼時。食べ物の話題がしやすいだろう。甥っ子に話しかけるような気分で、私はバブちゃんに声をかける。

「お腹空いたね」
「…っ空きましたね」
「好きな食べ物なに?」
「…っっ…ンハンバーグン」

ぎやあああああああああああ!!!!!

可愛すぎる。可愛さが異常である。こいつ、小さい“つ”を使わないと会話できないタイプの人間だ。しかも「ンハンバーグン」ってなんだよ。感じてんのか? 好きな人の名前をこっそり打ち明けるみたいな声量と声色で、ハンバーグと言いやがったこいつマジで無理。

可愛い。バブ君の森羅万象全てが可愛い。もう完全に目が離せなくなった私は、仕事中ずっとバブ君を見つめておりました。重いものを持つときに「ヨイ、ヨイ」と言うのは、マルコに憧れているから? 座るとすぐに足をプラプラ揺らす癖、誰とも目が合わないように常に斜め40度下げられた目線。これが…年下ッッッッッ! 何から何まで不器用すぎる。上着を脱ぐとき、一緒に脱げかけてしまったヒートテックから覗く真っ白な脇腹は隙だらけで心臓に悪い。

全てを教えてあげたいような気持ちになった。こんな気持ちは初めてだ。バブ君が知らない全てのことを、手取り足取り教えてあげたい。小さい“つ”の嵐を起こしたい。ありとあらゆる妄想が膨らむ。脳内のバブ君を笑わせたり泣かせてみたりしてしまう。その時、自分の体に「教え魔おじさん」が住んでいることに気付く。私の知らない承認欲求が、私の中に住んでいる。

ペンは欲よりも強し

「可愛がる」という行為には、独特の気持ちよさがある。そしてそれは「絶対的に自分が優位な立場にある」という謎の思い込みがなければできないことだ。20歳年上のあの彼が、やたら私に優しかったのは、私が彼と比べてあまりにも弱かったからだ。赤ちゃんに優しくするのは簡単なのだ。でも、当時の私は赤ちゃんではない。同じように、バブ君だって赤ちゃんではない。私も彼も、というか赤ちゃん以外は赤ちゃんじゃなくて、なんなら赤ちゃんだって赤ちゃんではない。みんな独立した個人だ。「やめて」と言わないからってくすぐり続けちゃダメなのだ。

バブ君は可愛い。どうしても可愛い。なにも知らないバブ君に、美術館で勝手に作品解説をするみたいに、あれこれ干渉したくなってしまう。でもだめだ。自分がやられて嫌なことは、人にもしちゃあだめなんだよと、ガキの私が言っている。その通りだ。私にはこれから、どんどん後輩ができる。年下の人と出会い続ける。その人生の中で、「可愛がりの快楽」に負けてはだめだ。散々嫌な思いをしてきたじゃないか。キモいのはジジイじゃない。快楽に飲まれて行われる一方的な可愛がりなのだ。キモいババァになる気か?違うだろ。

…はぁ。そうは言っても可愛いものは可愛くて、私はバブ君、もとい成人男性Aを見つめる。やっぱり可愛い。でも、私はそれを知性で乗り越えたい。止めどなく生まれるありとあらゆる欲望を、抽象的な衝動を、言葉にして具体化すれば、だんだん自分が見えてくる。どう生きたいのかがわかってくる。書いててよかった。私は執筆が好きだ。気付き続ける自分が好きだ。これからも、きっといっぱい間違えるし、時には欲望に負けちゃうかもしれないけど、そういう時は書く。書けばわかる。

『内緒にしといて』ご愛読本当にありがとうございました! 長井短の冒険はまだまだ続くッ!

TEXT/長井短