「可愛い」とか大丈夫なんで勝手に生きます/長井短

みんな元気〜? 9月になった途端涼しいっていうか寒くて、季節の切り替えの早さに引いてます。凄いクールな振る舞いしてくるじゃん季節。卒業した瞬間地元捨てるタイプのダチかよ。
私はというと、来るべき誕生日に向けて27歳の最終調整に入っている感じです。この一年も色々ありました。変わったこと、変わらなかったこと、様々だけど概ね楽しい一年でした。マジみんなのおかげ。そんな中で一番変化を感じたのは「自分の外見に興味を持つようになった」ってこと。この変化はいったい何だったのか、己に聞いてみようと思います。

「可愛くなりたい」って決めんなよ

26歳の時に姫カットにした。前髪を作ると必然的に、その部分の調整をしないといけないから、私は月に1回くらい(ちょっと盛った)美容室に行く人間になった。それまでの私はというと、ロングヘアにかまけて年に2回くらいしか美容院に行かず、数々のヘアメイクさんをドン引きさせてきたわけなんだけどその節は本当にすいませんでした…。

美容院に行くと、美容師さんは「今日はどうする?」と私に聞いてくれて、その質問のおかげで必ず私は自分の見た目について考える。「髪を少し明るくしてみようか」とか「いつもより前髪を短くしてみようか」とか、とても些細な変化だけど、こんな風に自分の見た目を考える時間は若い頃本当になかったから、ドキドキ恥ずかしい時間だ。
そうしているうちに、関心は髪型以外にも向く。スキンケア、ちゃんとしてみようかな…とか、まつ毛もうちょい伸ばしてみようかな…とか、20歳の頃の私なら絶対に考えないようなことを、日々思うようになったのだ。これが歳をとるってことなのか? と思いつつ、そんなシンプルなことでもない気がして、そもそも私はどうして若い頃、自分の外見を考えようとしなかったんだろう。

私はずっと、外見って人のためのものだと思っていた。職業がそうさせた部分もある。髪型を変えることも、ピアスを開けることも、ジェルネイルだって勝手にできない。私を飾り付けてくれるヘアメイクさんやスタイリストさんのために、自分で自分を飾ることを禁じていた。今思うとちょっと極端だったし、ていうかだとしても美容院は行けよって思う。トリートメントはしろよそれも仕事だろ。徹底的に自分の外見を放置し続けのは、きっとモデルだからっていう理由だけじゃない。

街を歩くとそこら中に「可愛くなりたい」って女の子の気持ちを誘発させようとする広告が踊っている。そこには大抵「可愛いね」って審判を下す第三者の視点が異性という形で具現化していた。こいつ誰だよと見るたびに思った。その絵の強さから「可愛くなること=異性に認められること」みたいな印象を受け取ってしまって、さらに私は外見を放置したくなる。

同時に、「可愛くなりたいよね?」のゴリ押しにドン引いてもいた。いや別に、女の子全員可愛くなりたいと思ってるわけじゃないし。私別に、そういう風に可愛くなりたいと思ったことないんですけど? 民意みたいにするのやめてもらえます? 強い反発は私の生き方に反映される。可愛いの不買運動だ。可愛さの奴隷になりたくなかったのだ。私は好き勝手にいたかった。
「可愛いね」って褒め言葉すら言われると不愉快だったし、かといって「変わってるね」と言われても不愉快だった。こうなるともう全部不快。全てがうるさい。怒ってばかりいた若い私はいつしか「外見を磨いたら負け」みたいな思想になり、ズボラな状態で人に認められることが自分の価値だと考え始める。