男に“男らしさ”は求めるな! ――「脱!フツウ」のために
そしてもうひとつ、本書で湯山さんが突きつけるのは、“男に男らしさを求めていたら、もう恋愛なんてできない”というシビアな現実です。
前述したように、そもそも男性は“恋愛”に対するモチベーションが女性よりも低い生き物。
単に“性欲を満たす”だけなら、今は現実の女性よりもエロくてキレイなAV女優のセックスシーンをいくらでも見ることができます。
そのうえ、社会で男性と対等にわたりあう女性が増えたおかげで、女性に対する一種のファンタジーも崩れ去りました。
男と同じくらい頭がよくて、同じくらい能力があって、同じくらい気が強くて、同じくらい給料をもらっていて、同じくらい性欲もあるのに、なんでわざわざ男が女を守ってあげたり、リードしてあげたりしなければいけないの?
男性がそう考えるようになっても、無理はありません。
「自分よりも力が上で、自分を導きリードしてくれる王子様」なんて、もはやフィクション。
自分は「女らしさ」から逃げ出して自由を謳歌しているくせに、男には「男らしさ」を求めるのはナンセンスです。
もしもパートナーが欲しいのなら、古い“恋愛”のフレームを捨てて、たとえ男らしくなくても自分にとって気の合うナイスな男性を見つけ出すほうが幸せの近道だと、湯山さんは助言します。 そして、「それはもはや恋愛という概念ではカバーすることができない、多様な男女の関係性なのです」と結論付けています。
お見合い結婚よりも恋愛結婚。
浮気や不倫は絶対ダメ。
女の収入のほうが上のカップルはうまくいかない。
友達とセックスしちゃうのはマナー違反。
このように、世間には常識の範囲内でみんなと一緒の“恋愛”をすることが、正解であり正義であり“フツウ”だという空気が流れています。
「そんなに仲がいいんだから、ふたり付き合っちゃえばいいのに」
「そんな彼とは別れて、自分を大切にしたほうがいいよ」
そうやって人から“フツウ”の恋愛観を押しつけられることもしばしばです。
しかし、そういった白か黒かの二元論は、物事を単純化してしまう“コドモの考え方”だと本書は批判しています。
オトナは常にあいまいなグレーゾーンを残して物事に対応するもの。
「相手が自分にとってかけがえのない存在だと思えるのなら、それを続ける自分なりの方法やモラルはさまざまに存在する」のだと語りかけるのです。
恋愛の価値観や事情は人それぞれで、それぞれの満足があっていい。
この本は、“フツウ”にとらわれて幸せを見失っている女性たちに、「脱!フツウ」していいんだよと呼びかける、愛に満ちた“救いの書”なのです。
4回にわたってお届けしてきた「脱フツウ恋愛文庫」、いかがでしたか?
最後に、冒頭で紹介したタモリの発言の続きを引用したいと思います。
「幸せというのは、前の上を見るんじゃなくて、後ろの下を見ること。望むものじゃなくて感じるもの」
みなさんが、ありもしない“フツウの恋愛”という呪縛から解放され、すでにそこにある“フツウの幸せ”を感じられることを願っています――。
Text/Fukusuke Fukuda
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