探究したいけれど、かなわない存在
別の友人が言っていたことを思い出す。
彼女は大層美人なのだが、全く色気がない。一度、風に煽られてスカートがめくれ、尻が丸見えになったことがあったが、その場に居合わせた男性陣も含め、特に何の感想も浮かばなかった。てか、これから行く、ほうとうのお店のことで頭がいっぱいだった。風、尻、ほうとう、終了。
「わたしさ、すぐ妹みたいだ、って言われちゃうの。でも『妹』って、色気の対概念だよね」
恐ろしいほどの早口でカフェラテを啜りながら彼女は言う。
つやつやの肌に、長いまつげ。そしてなぜかヘソ出し。健康的な身体。
悩んでいる様子はなく、喉をこくっと鳴らして、にこにこしている。
めっちゃかわいいけど、色気どころかエロスのかけらもない。
だが、彼女の発言は色気の正体を考える上で、大きな役割を果たしてくれる。
彼女は健康的で、溌剌として、太陽のようだ。
それに対し、一般的に色気のある人というのは、どこか影がある。少し病的ですらある。
あんま笑っていない。下手したら無表情。姿勢は斜め。そして、もの憂げ。
色気のある人はどこか静的で、たおやかな時間を纏っている。
彼らは謎めいた微笑みを浮かべたまま、どこかへ行ってしまう。
わたしたちを徹底的に魅了したまま、わたしたちが知り得ないどこか遠くへと、去って行ってしまう。
家に帰ればおかえりと笑顔で迎えてくれる、よく見知った「妹」とは違って。
*
色気とは、静謐さである。
また同時に、不可能性でもある。
たとえば、俳優・斎藤工。
彼の挙動はしとやかである。まるで彼のまわりだけ時間が止まってしまったみたいだ。
そして、ミステリアスなまなざしをこちらに向けている。
それだけで、わたしたちは斎藤工について想像を駆り立てられてしまう。
ああ、どんな風に部屋で時計を外すんだろう、香水を拭きかけるときは目をつぶるだろうか、夜はどんな体勢で眠るんだろう。
しかし、わたしたちはそれを知ることはできない。
彼の深奥を探究したいけれど、かなわない。
斎藤工は真冬の満月みたいに静謐なのに、それを見るわたしたちは荒々しく高ぶっている。
彼の未知なる奥行きが知りたくて知りたくて、駆り立てられている。
そしてそれはやっぱり達成されることはない。
相手に対する無知は、色気を準備する重要な要素となり得る。
大事なのは、その知の獲得に駆り立てられること、そしてその獲得が本質的に不可能であることである。