自分がどれだけ我慢しても
「愛」はためられない
そもそも「愛」は悦びの塊りであるはずで「愛」の中にちくっとすることは含まれていない。
ちくっとしなければいいんだけど、ちくっと感じていても他のふわふわしたもので覆い隠してしまっていたりする。
欠点が目につくとか理想とは違うとか、そういう何かしらの不満とは別に、胸の傷みが少しでもあったら、ケアしなければ。
たとえば、恋人に電話する毎月の携帯代が嵩んでツライなんてのも含めて、「お金」を通してちくっと傷む何かがあれば、「愛」を見直すタイミングだと思います。
自分の我慢を愛情と信じてどれほど辛抱しても、「愛」は貯められません。
貯まっていくのはチクチクした傷みばかりです。
結局のところ、自分の「愛」は自分で稼ぐってことなんじゃないでしょうか。
自分で稼いだ「愛」で自分自身を充分に満たせるようになれば、マザー・テレサみたいにはなれなくとも、「愛」を必要とする誰かに見返りを期待することなくちょっとくらい分けてあげられるかもしれない。
多分、その「ちょっとくらい」って加減が、大事なんですね。
Text/前川麻子
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