女優兼作家の前川麻子さんの、4度の離婚経験を元にした様々な恋愛に関するお話は本当に聞いて損はありません! 恋愛で困りがちなあなたにぜひおすすめです。第1回はこちら。
見返りを求めてつらい時… それは「お金」じゃなくて「愛」の問題では?
自分ばかりがお金を使っているときに感じる、見返りを求めてしまって満たされない気持ち。
相手ばかりがお金を使ってくれて、期待されていることに応えてあげられない後ろ暗い気持ち。
一緒に倹約していても自分自身に安値をつけられているようで凹んじゃう気持ち。
そうした心的負債は、「お金」の問題じゃなくて「愛」の問題だと思います。
結婚していたときに散々実質的な負債を旦那さんに背負わせていたにも拘らず私自身は少しも胸が傷まなかったのは、
無論私自身の経済観念や社会性の欠落が大きな理由ではありましたが、
それ以上に、こんなに酷い目に遭っても結婚していてくれるということが、自身の欠落を補填するようなものだったのかもしれません。
自己評価の低さでもあるそれは、自分がこれまでより少しばかり生活のことを知って誰かに埋めて貰わなくてもやり過ごせるようになった。
私の場合は、自分の稼ぎを持つことで(「お金」の問題が解消できるほどの余裕はないにしても)「愛」の問題が少しだけ解消しつつあると自覚しました。
最初にちくっときた時を見過ごさないで
借金をしたことがないうちは1万円を借りてもドキドキそわそわした気持ちになるけれど、10万円の借金を抱えてしまうと100万円の借金をしても胸が傷まないものです。
心的負債も同様に、ちくっときた最初が肝心で、ちくちくすることに慣れてしまってからじゃ取り替えしようがない場合もある。
「また私が出すのね」と思ったら、ちくっ。
「奢ってもらってるけどちっとも楽しくない」と思ったら、ちくっ。
「わたしのためにお金を使うつもり、ないんでしょ?」と思ったら、ちくっ。
これは「お金」の問題じゃなくて「愛」の問題です。
「愛」は数えられないけど「お金」は数えられる。
「愛」には貸し借りがないけれど「お金」には貸し借りがある。
「お金」は貯められるけど「愛」は貯められません。
だからこそ見過ごせない問題となって表面化するのでしょう。
どっちが出すとか出さないとか金額とかの問題じゃなく、ちくっと感じることに問題があるわけです。
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