コミュニケーションを取らなければならない理由
この連載でも、何度か登場したことのある「離婚するかもしれない」という親友の話。
彼女は私の友人の中で誰よりも早く結婚し、20代の半ばから30代の半ばの今まで、結婚生活を続けてきた。
その間に何度か彼女の方から「もうだめかも」というような、連絡があり、その都度、相談にのりながらも夫婦の危機を一緒に乗り越えてきたように思う。
彼女は私に対してはいくらでも欲求や不満をぶちまけることができるのに、なぜか夫にはぶつけられない。
「もうだめかも」という風に、2人の関係が落ち着かなくなってくる原因は決まって彼女と夫の「コミュニケーション不足」なのだ。
そんな感じだから当然、彼女は夫が考えていることがよくわからない。
もちろん彼がやることなすことにも理解できなくなって、定期的に「もうだめかもしれない」という状態になるようなのだ。
相談を受ける度、私は「ちゃんと話し合わなきゃ」という同じアドバイスを何度もし、自分の気持ちを伝えるのが苦手だという彼女を励ましつづけて来た。
彼女なりに頑張って、夫に話しをしようと毎度しているけれど、毎度彼女が満足するような結果にはならない。
でも、なぜだかすぐに仲直りをしてまた何事もなかったかのようにしばらく連絡はないまま、という繰り返しだった。
「なぜだかすぐに仲直りする」というのは、結局完全な話し合いにはならないものの、お互い「一緒にいたい」という気持ちは確かめ合えて、またいつも通りの夫婦生活が続いていくということなのだろう。
この繰り返しが10年近くの間に何度か繰り返した後、また彼女から数日前に連絡がきた。
「別居しちゃった」というのだ。
「今度こそ、もうだめかもしれない」そう私は思った。
私自身、パートナーが外国人であるということもあり、言葉で伝えなければ「あ・うん」の空気で伝わるなんてことは到底ない、と実感している。
一度だけだが、日本人の男性と短いおつきあいをしていた経験があるが、なぜだか同じ言葉を話す者同士なのに、ものすごい「壁」や「距離」を感じた。
そして、彼女と同じく、なぜか私は彼の感じていることがよくわからない上に、聞く事もできなかった。そして、よく分からないまま、関係は終わってしまったという苦い思い出がある。
だから私の親友の状況や心境もなんとなくわかる。
だがしかし。 「一緒にいたい」という気持ちだけでは、2人で生きて行くのは危うすぎる。
どちらかが疲れたり、その気持ちが切れた時に、簡単に別れてしまうからだ。
そうなるのはもちろん人間だから当然のこと。だから、お互いによく話しあって、チューニングが必要になる。
密なコミュニケーションは、「結婚」という「共同生活」をしていく相手とは、絶対に絶対に必要なものだ。
こんな大切なことを、結構知らない人が多いように思う。
Text/中村綾花
記事初出:2016.02.07