“港区”は手段であり、目的ではない。

 港区で遊び始めた女性にありがちなのは、街以外の何物でもない港区を“夜の遊園地”だと勘違いしていることだ。自覚、無自覚関係なく。本人たちにしてみたら、ただ飲んでいるだけでお金を貰えるというのに価値を見出しているのかもしれない。けど、仮にタク代を1万円、1次会と2次会を6時間として時給換算すると、およそ1,700円以下。終電がなく、タクシーで帰宅をすれば必然的にそれ以下となる。

 「お金がないからギャラ飲みに誘ってほしい」と言われるたび、私はこう返す。「バイトしたほうが稼げるよ」と。現実を直視することなく、自分自身ではなく若さに需要があるからチヤホヤされていることも理解せず、ただただ「なんとなく…」で夜な夜な街に繰り出す。
学生は夜遅くまで遊んでいるせいで朝起きれず、学校に行かなくことが重なり始め、OLなどをしていた人も生活が夜に傾き、場合によっては昼職をやめてラウンジなどの仕事を一本化するようになる。
自分の意思によっての行動ならいいとして、流されるまま生活が夜中心となるのはどうなのか。飲み会によって得た人脈でマネタイズを考えるなどを除き、一時のお金と煌びやかとされる環境に目が眩み続けて得られる実績があるなら教えてほしい。
 
 若さと時間は残酷なことに人類みな平等だ。どう使うかは自分の自由だけど、
どれだけ偉い人や有名な人の飲み会に呼ばれようが、そんなもの価値でも何でもないただの思い上がりだってことに気づいてほしい。
もちろん、港区で得たものを上手く使う人も多くいる。飲み会で希望業界の人と知り合い、上手く情報収集やコネクションを繋げてもらい、結果として就職活動に成功した学生を何人も見た。彼女たちのような“勝ち組”を見ていて思うのは、損切りが非常に上手い。興味がない、自分が得をしない相手からの誘いに対して非常にシビアなのだ。
社会人になって稼げるようになれば、嫌なガツガツ感もなくなる。となると、必然的に質のいいオファーも増える。男性だって人間だから、一緒に空間を共有して違和感がない人と過ごすのは当たり前だ。

 『港区女子』なんてものに憧れを抱くぐらいなら、自分の生活をきちんと持続させるほうが何倍も尊い。いつだって人は簡単なことに気づけないものだ。

Text/マドカ・ジャスミン