ユリちゃんの浮気観

「女の浮気」。
それも高級娼婦とか稀代のビッチとかじゃなく、「普通の女」が普通に浮気する物語──

そういえば、山崎ナオコーラ原作、井口奈己が映画化した『人のセックスを笑うな』という作品があった。

この作品、私のまわりの女性にはかなり評判が良いのだけど、反対に男性にはすこぶる評判が悪い。
39歳という決して若くはない年齢のユリ(永作博美)が、旦那にまったくばれないまま、19歳のみるめ(松山ケンイチ)と浮気をするからだろうか。
不倫という悪事を働いているのに、ユリには制裁がいっさい加えられないまま、穏やかに物語は終わる。
だから、確かに男性は居心地が悪いのかもしれない。男女逆の立場になってみれば理解できなくもない。

39歳のユリは、実に軽やかに不倫をする。
その恋は中学生みたいに自然で、旦那にも、みるめにも、罪悪感は抱いていないようだ。
専門学校の教え子えんちゃん(蒼井優)に「みるめくんとは遊びですか?」と問われれば、「だって、触ってみたかったんだもん……」などと少女のように答えている。
自分がしていることを悪いことだとは思っていなさそうなところが余計悪いというか、男でもこんな爽やかな、透明感のある不倫はできない。

もちろん、ユリはいくつになっても結婚しても「恋愛」がやめられない恋愛依存症体質などではなく、自分の個展の準備を淡々と進めているクリエイターであり、毛玉がいっぱいくっついていそうな色気のないパンツを履いてコタツで信玄餅を食べている「普通の女」だ。

「女の浮気」は墓場まで

改めて確認するが、いくら爽やかで中学生みたいだとはいえ、ユリのしていることは紛れもない「悪」である。
「お互い以外の相手と性的な関係を結ばない」と契約するのが結婚であり、恋人というパートナーシップだ。
ユリがみるめとセックスしているのは明確な契約違反なので、これが「悪」であることに異論を挟む余地はない。この点において、「罪を犯している者に罰が下らない」物語を、不満に思う人もいるかもしれない。

しかし考えてみてほしいのだけど、「浮気がパートナーにばれない」ということは、実はけっこうな努力を要するもの。

まず、帰りが遅くなるなどパートナーが不審に思うような生活リズムの変化があってはならない。
また、浮気相手が逆上して乗り込んでくるなんてことがないよう相手を選び、フォローもしっかりしなければならない。
決して褒められたことではないとはいえ、パートナーに浮気が絶対にばれないよう、勘付かれないように行動するためには、ある種の誠実さが必要になるのだ。

契約を結んだ相手がいる限り、浮気はしない。
再確認するが、これが最も誠実な態度であり、真っ当な姿であることは疑いの余地がない。
浮気や不倫は「悪」である。
だけど、パートナーがいる身であっても、他の人に魅力を感じてしまうことはとても自然なこととしてある。
もちろん、魅力を感じたとしてもそこで踏みとどまるべきなのだけど、踏みとどまれなかった場合、はたして「ばれて制裁が下る浮気」とユリのような「ばれないまま墓まで秘密を持っていく浮気」、どちらの罪がより重いだろうか。
これは、ちょっとわからないなあと私は悩んでしまうのだ。

古今東西、「女の浮気」を描いた映画・小説は少ない。
だけどそれは、普通の女は浮気をしないからではなく、女たちが浮気の秘密を大切に墓まで抱えて死んでいったからではないのかと、私は邪推している。

Text/チェコ好き