依存によって最も醜い自分に出会うことは
いい経験になる

中村うさぎ AM 恋愛 甘えと依存 AM編集部

―依存をしたことですごくいい体験をしたことはありますか?

中村:
恋愛で男に依存したことで、いい経験をしたことなんて一度もないと思う。
依存って執着なので、しすぎると苦しいからね…。
しいていうとしたら「私ってこんなにばかなんだなー」と最も醜い自分と出会ってしまう体験ができることかな。
そういうコントロールできない自分を発見していくことは、とても貴重だと思うんですよ。

恋愛って最も自分を知るチャンスだと思うのね。
やっぱり人ってきれいごとをいってしまうし、きれいごとを言っている自分が本当の自分だと思ってしまう。

心の中でドロドロしたことを思っていても、そんなことは口には出さないし態度にも出さず、
そんなこと思っちゃだめ! って自分に言い聞かせて、もっとポジティブに考えよう!  とかさ。
そんなことができる間は依存じゃないから。
でも恋愛でバカになって、私はこんなに愚かだし、こんなに醜いし、こんなに視野が狭くて、だめな人間なんだ、ということをちゃんと知らないといけないと思うんだよ。
自分をきれいにきれいに美化したままでいたら、「己を知らない」という理由でどっかでつまずくから。

依存のせいで、恋愛がドロ沼になって、泥まみれの傷だらけで、それでもずるずる別れられなくて大騒ぎになっている人もいるよね。
でも、そこまでいってしまう人は、もうドロ沼の恋愛しかできないんだから、沼の底まで行っちゃえばいい。
そのせいで死ぬ人ってほとんどいないから。
その時は「死にたい」とか言っているけど、のど元過ぎればケロっとして次の恋愛をしているでしょう。

依存してしまう人は
もう「とことんまで行くしかない」

中村:私は買い物依存症だったので、それを経て言えるのは「とことんまで行くしかない」ということなんですよ。
依存状態のときに理性で自分をコントロールしようとするのは絶対ムリ。
そんなこと出来ていたら、最初からその病気になってないよね。

理性で押さえ込もうとして、クレジットカードを封印しても、夜中にはコッソリ出して財布に入れたりしているわけだから。

それは男も同じだと思う。
もう絶対別れようと決意して男の家の鍵を捨てても、次の朝ゴミ箱から取り出すみたいな(笑)。
そういうときは理性に頼れる状態ではないので、とことん行ってしまって傷ついてしまえばいい。
傷つくことも重要なことなんですよね。傷つくことで、人って自分を知っていくから。

―考えてもたどり着けないところに、傷ついたら行けそうな気がしますね。

中村:そうですね。傷つくことを回避する防御システムはどうしても働いちゃうけど、傷つかない恋愛なんてほぼないですからね。
最初はラブラブで、この人が私の最後の相手だと思っていても、徐々に嫌なところが見えてきて、思っていた相手じゃないと気付くし、自分だって相手が思っていた人ではないので。
そこで、自分をぶつけて、傷つけて、傷つけられていって。
それの二回目、三回目ぐらいからだんだん自分が見えてくるから。

事前に「私はこういう傾向があるから、気を付けよう」と分かってくるようになる。
何度も傷ついたら、恋愛は上手くなっていくと思うんですよね。

例えば、スキーやスノボでも転ぶのが怖くて最初からしない人は、上手くならないじゃないですか。
それは恋愛も一緒で、場数を踏まないと人の気持ちも分からないし、自分の気持ちすら分からないから、たくさん傷ついて、だんだん上手になっていけばいいと思う。

依存だってそう。
恋愛下手な頃は、ひどい依存をして泥沼になってしまうかもしれないけど、何回かすると、少しは解消されていくはずなんですよね。

―何回かいくところまでいけば、依存との付き合い方もうまくなるのですね。

中村:何回やっても同じことに依存する人は、「病気」ですね(笑)。いわゆるメンヘラ。でも病気も治るからね。

知り合いにリスカ癖の人がいるけど、やりすぎて腕がシマシマの人でもいつかは立ち直っていくんですよ。
人間ってそこが強いなって思う。
だから、今は手首切らないと生きていけないけど、その内これ終わるんだなと思って、今のうちに切っとけ! くらいの軽い気持ちで切っといていいと思うんだよね。
止めようと思うと止められないから。
切るだけ切ったら切らなくなるし。