ベッドで相手を受け入れられなくても自分を責めないで/春画―ル

春画歌川国芳《吾妻文庫(あづまぶんこ)》

眉間にしわを寄せてオーガズムを感じているフリなんかしなくていい。
大好きなカレの腕に抱きついて笑顔でいてもいい。だって嬉しくて愛おしい時間だもんね、と原点に返らせてくれた絵。

今回は「大きなちんこを受け入れる方法」「小さなちんこでも膣の奥まで届ける方法」
ついて書いていく。

大きけりゃ味がよいってわけでもない

世の中にはいろんな容姿や声や思考があるように、性器も十人十色だ。
そして代替がきかないものだから、それなりに不都合も出てくる。
女性の性器は足の間に埋まっているから(隠語として「くぼ(凹と書く)」なんて言い方もある)、他人と比べる機会がない。
わたし自身も恋人に外陰部の左右のアンバランスさについて言われるまで気にしたことがなかった。(知りたくなかった!)

春画菱川師宣《床の置物(とこのおきもの)》
春画菱川師宣《床の置物(とこのおきもの)》

1681年頃に刊行された菱川師宣の《床の置物》では、御殿の奥女中の赤裸々な性事情が描かれている。
菱川師宣といえば、そう。学校の歴史の授業で習った《見返り美人図》を描いたひとだ。

上図二枚の絵ではオンナのアソコの大きさ比べが描かれているのだが、このように本の中では誇張された表現が散りばめられ、性と笑いが密接な関係にあることがわかる
オンナ同士で股を開き、足の間を見せ合うという現実か非現実かわからない表現に終始顔の筋肉は緩んでしまう。
生命が誕生する女のアソコは尊いと考えられていた。だからオンナの性器が大きいことは豊かだと考えられていたのかもしれない。

セックスと性器の関係で言えば、「大きすぎて入らない」「小さくて、なんだかしっくりこない」と思うこともあるだろう。痛ければセックスが「我慢の時間」になるし、物足りなくてモヤモヤしたりもする。
しかし、北斎の挿絵のある性の指南書《 陰陽淫蕩の巻(いんようてごとのまき) 》を読んでみると、生まれつき私たちについている性器について、なかなか良いことが書いてあった。

春画葛飾北斎《 陰陽淫蕩の巻(いんようてごとのまき) 》

歳とともに下がってくる女性器が悪いということはない。
膣が上がっている女性器が素晴らしいとも限らない。
下がりつつある性器でも素晴らしいこともある。
広い膣でも締まりがよいものもあるし、膣が狭いと確実によいわけでもない。
男性器も大きくてもスキルが無ければ全然良くない。
小さな男性器でもスキルがあれば、満足できる。
生まれつきの良し悪しあれど、コツをつかめばみんな上手になる。
つまり、生まれつきの性器だけで一喜一憂するべきではないし、コツを掴めば相手を満足させられるということでしょう。

知り合い曰く、膣の奥でオーガズムを感じることができたとき、パートナーとの関係がさらに深まるどころか、翌朝は街中の人々に挨拶したいくらい「ラブ&ピース」になるそうだ。
まさに人類の平和はベッドの上から始まるのかもしれない
そして江戸時代だって今と同じような悩みがあったらしく、指南書にもこれらの解決の糸口が載っていた!