「私たちは人脈を作っている」
本当に?

 よくそのカルチャーに心酔する女性が口を揃えて主張するのは、「私たちは人脈も作っているから」という謳い文句。これは自戒とも言えるが、飲み会で…それもギャラ飲みのような自分が“一匹のメス”としてしか認識されない集まりで出会った人物とビジネス関係になり得るなんてことはほぼ無い。「仕事でも…」という言葉なんて、ただの釣り針以外の何物でもないわけだ。少し冷静になって考えてみれば分かるが、初対面の若い女性にそんなことを心の底から提案してくる方が恐ろしい。その人のビジネススキル、リテラシーを疑うほうが正しいとも思える。希望的観測の元、どれだけアルコールを摂取しようが、結局残るのは身体とメンタルがボロボロになった自分だけ。気づいた時には、もう遅い。

 このままで話が終わってしまうと、西麻布、ひいては港区を批判しているようにも思われるかもしれないが、それは全くの誤解である。港区から離れて一番感じたのは、あの街は素晴らしいお店に満ち溢れているということだ。先にも書いたが、港区はどこのレストランも単価が高い。20代前半の若者が気を張らずに行けるお店なんて皆無に近いだろう。それでも、行く価値があるお店があの街にも山ほどある。食材や調理方法、立地にサービス、どれを取ってしても、平均値を優に超えてくるお店ばかりだ。恥ずかしいことに昔の私は、そんなことに目を向けたことが無かった。連れて行ってもらった食べログの評価が高い、有名店、メディアにも取り上げられている…そんなところでばかり評価していた。そして、そのお店の評価が自分の評価であると痛い勘違いもしていたのだ。だからこそ、今は全額奢りでどうでもいい大人と食事に行くより、完全割り勘でも自分でリサーチして行きたいお店に食事に行く方が断然有意義だと思えている。自分の稼いだお金で頂いた3万円近くするコース料理の味は、それはそれは格別だった。

アイデンティティを霞ませる魔力

 港区女子を否定するわけじゃない。私だって、書籍を出す過程で何度もその恩恵を受けてきた。けれど、それだけが私の価値だったかと言えば、全くもって「NO」と断言できる。何故なら、目的ではなく、“マドカ・ジャスミン”を成り上げるためのただのツールでしか無かったからだ。偶然手に持っていたものに需要があり、仕事へ繋げられた。それ以上でも、それ以外でもない。もしかすると、港区女子だと持て囃されることに驕り続けた未来の可能性もあっただろう。いかに男性からお金を落としてもらうか、チヤホヤされるか、形ばかりの人脈をどう作るか、そんなことばかりに躍起になっていたとしたら、私は果たしてこうしてコラムを書き続けられていたかどうかも曖昧だ。港区には、それぐらい自分の大切なアイデンティティを霞ませる魔力が存在する。そう気づいている人は、一体どれだけいるのだろうか。

 これから迎える桜の季節。例年の如く、地方からの大学新入生や新社会人たちの一部が港区へ足を踏み入れるのだろう。きっと今まで経験したことの無いキラキラした世界に溜め息を漏らし、恍惚とした表情を浮かべるかもしれない。でも、忘れてはいけない。理由が不明瞭な甘い誘い文句には、必ず誰かの欲望が渦巻いている。だからと言って、無暗に恐れ戦く必要もない。むしろ、その欲望すらもツールにしてしまえばいい。巻き込まれるぐらいなら、巻き込んでしまえ。飲み込まれるぐらいなら、飲み込んでしまえ。そう、私たち女性は強いのだから。

Text/マドカ・ジャスミン