男優と女優にカメラはどう見えているか

 男性向けAVは「交差する視線」を好み、女性向けAVはこれを嘘くさいとして退ける。
興味深いのは、この違いが単に男性向けAV視聴者と女性向けAV視聴者の好みの差にあらわれるだけでなく、演じる側、すなわち女優と男優の側にある「視線」をめぐる感覚の差にもあらわれていることだ。

『Filled with you 一徹』の特典映像には、出演した一徹、友田彩也香と監督の3人での待ち時間での会話が収められている。一徹が主観撮影が苦手であることについて語ったその会話は、被写体たる男優・女優の立場から「視線」について語られたものであり、これまでの議論を裏側から補強する。

一徹:[いま話してたのは]主観が無理だから、っていうこと。
友田:あー。
一徹:よくできるね。
友田:主観のほうが楽ですよ。
一徹:え、何言ってんの。
友田:え、何か、私は、最初ファンの人を思い浮かべるんですよ。
一徹:でも、違うじゃん。このなんか、丸い……[カメラを指さす]
友田:ファンの人が、見てくれてると思うんですよ。これを、オーバーアクションを見てくれてると思うと、そっち向いちゃいますよ、勝手に。
一徹:……はー、なるほど。
友田:私もやっぱり、ここに[一徹の顔の隣の空間を手で示す]こうやってカメラあるじゃないですか。こっち[カメラ]見なきゃいけないけどこっち[一徹]見ちゃうんですよ。男優さん見ちゃうじゃないですか。
一徹:いや、見ちゃうよ、全然見ちゃうよ。
友田:でも、ファンの人が見てくれてると思うとこっち[カメラ]向いちゃうんですよ。

 男性向けアダルト動画における、まるで女優と目が合っているかのような視聴者の感覚は確かに錯覚である。しかし、友田はその幻の視線をしっかりと受け取っている。
女優と男性視聴者のこの相思相愛的幻視に対して、一徹の目には、カメラはカメラにしか見えていない。
一徹と女性視聴者の間にはカメラのレンズ、画面の液晶が壁となって立ちはだかり、視線が遮断されているかのようである。

 見方を変えれば、一徹の口癖「見てて」も興味深い。
一徹がカメラとの視線の交差を苦手とすること、および「見てて」という女優への視線の要求は、AVの男性視聴者の女優との「交差する視線」への指向を、一徹という男も共有しているということを示しているといえるかもしれない。

 ゆえに、女性向けAVにおいて視聴者の視線は、一徹と女優の間の「交差する視線」に垂直に交わるように、第三者的立ち位置から注がれなければならないのだ。

 もちろん、「だから女はだめだ。AVの見方が分かってない」と言うつもりは全くない。男女の鑑賞にはただ違いがあるだけで、優劣はない。
しかし私などは、「一徹! 俺のこと見てて!!」と思ってしまうのだが、女性はそうでもないのだろうか?
見られたら見られたで、なんだか照れてしまうのだけれども。

Text/服部恵典

次回は <AV女優でオナニーする人間の倫理――杏美月の結婚と紅音ほたるの死>です。
「性の商品化」やAV女優の出演強要問題については語ることは難しいという、現役東大大学院生の服部恵典さん。しかし、タートル今田監督『杏美月のすべて』と、元AV女優の紅音ほたるさんの突然の死から、AVの倫理について気付かされたことがあったそうです。AM読者の皆さんも、一緒に考えてみてはいかがでしょうか。