「なまこの輪」という名前の由来は?

左下にナマコの輪切りが。暁鐘成『偶言三歳知恵(ほかんさんさいぢえ)』(1825年)国際日本文化研究センター所蔵

なんで「なまこの輪」という名前なんだろう? の答えは、やはり元々は海鼠の輪切りを男根に装着していたからではないでしょうか。

『偶言三歳知恵(ほかんさんさいぢえ)』(1825年)には、「ナマコ」という項に海産物のナマコの輪切りの絵と共に、「カリの際へはめる。婦人はなはだ喜ぶという。」と説明されています。ナマコの表面のイボイボが女陰の中でこすれて気持ち良いのでしょうか。なんだか生臭そうです。

しかし乾燥させた輪切りナマコを常備しておけば、セックスの際に乾燥ナマコを湯に浸してふやかして男根に装着できるし、非常食にもなりそう。極太ちんぽにはナマコの輪切りは小さすぎて千切れそうですが。

葛飾北斎『津満嘉佐根(つまがさね)』(文政前期頃)国際日本文化研究センター所蔵

ナマコは現代なら高級品。江戸時代には長崎貿易で「煎海鼠(いりこ)」と呼ばれる干したナマコが輸出されていました。そんなナマコを食べずにちんぽに装着していたなんて考えられません。しかし江戸期の春画には稀にナマコが性具として登場します。

葛飾北斎『津満嘉佐根(つまがさね)』(文政前期頃)には、女島(おんなじま)という女性のみが生活する島が描かれていて、長浦のおばさんが若い娘にナマコを使って快感を得る方法を伝授しています。春画の書入れを読むと、ナマコのイボイボが、女陰の中の上辺りにあるザラザラしたところに当たってとても心地良いと書かれています。ナマコを出し入れしたり、回してみたり「はあはあ、あ~いっそ、もうナマコが中へ吸い込むわ~」と、もうイきそう宣言をしています。

画中のナマコはゴーヤのように大きいのですが、江戸時代のナマコはこんなに大きかったのでしょうか。生きたナマコは危険を察知すると内臓を肛門から排出する習性があるため、使っているうちに小さくしょぼしょぼになってしまいます。江戸時代に本当に海産物のナマコをディルドのように使用していた確証はありませんが、ナマコの輪切りならば使用することがあったのかもしれません。

避妊の効果があると考えられていた?!

北尾重政『艶本色見種(えほんいろみぐさ)』(1777年)国際日本文化研究センター所蔵

これまで見てきたこのリング状の性具「なまこ輪」や「りんの輪」ですが、もしかすると江戸時代には一部で避妊の効果があると考えられていた可能性があります。

北尾重政『艶本色見種(えほんいろみぐさ)』(1777年)には、後家の女性が男性の男根のカリの辺りに輪のようなものを装着している光景が描かれています。後家は「これで孕まないらしいから、何回でも続けて交わろう」と言っていますが、男性は「それはキツい知恵ではないか」とこの避妊方法に無理があると言っています。では、なぜ後家は男根のカリにリングをつけると避妊できると考えたのでしょう。

『花紋あまのうきはし艶説秘事枕』という江戸時代の出版物に、なまこの輪は「水牛にてつくり、雁を高くし陽物を太くし、精汁を漏らすことなき道具なり」と説明されています。どうやらリングで男根のカリを締め付けることで精汁、つまり精液が出なくなるようにできるという考えが存在したようです。春画にはこの後家が愚かであると書かれていることから、この避妊情報は一部では信じられていたが疑う人もいたのではないでしょうか。

しかし江戸時代は確実な避妊方法がなかった時代です。「これをすれば孕まないらしい」と聞けばなんでも試したい気持ちがあったのではないでしょうか。江戸時代には孕まないおなじないもありました。この後家は迷信を信じる愚か者ではなく、ほんの少しでも望みがあるならばそこに懸けたいという女性たちの気持ちを反映しているようにも見えるのです。

Text/春画―ル

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わたし、OL。推しは、絵師――美術蒐集はお金持ちだけの特権ではない。
美大に通っていたわけでも、古典や日本史が好きだったわけでもない「わたし」が身の丈に合った春画の愉しみ方をユーモアたっぷりに伝える。自分なりの視点で作品を愛で、調べ、作品を応用して遊びつくす知的冒険エッセイ。個人所蔵の珍しい春画も多数掲載。