看病には相性がある

しかし、こういう時、お互いの希望がマッチングしていないと面倒なことになる気がする。

世話されたい人が、放置されたら「愛がない」と感じてしまうだろうし、逆に放置されたい人がずっと傍に入られたら放っておいてくれ、と思うだろうし「死ぬのを待っているのだろうか」という疑念すら湧いて来てしまう。

カップルにおける特に重篤ではない病気における「看病」というのは、いわば「プレイ」のようなものなので、相性が良ければ気持ちいいが、悪いと不快になってしまうのである。

個人的には、風邪ぐらいなら一人で寝て治してほしいと思っている。

会社員だったころは、ワーママが出社した瞬間、幼稚園からの「熱が出ました」コールで帰って行く様を何度も見て来た。

もちろん、子どもならしょうがないが、もしかしたら世の中には「旦那が風邪を引いたから」という理由で、欠勤を余儀なくされている人もいるかもしれない。

看病プレイなら良いが、男女限らず本気で「俺の世話は誰がするんだよ」と言うようではダメだ。
せめて健常時は「俺の世話は俺で見れる」ようでないと、一方が本当に病(ビョウ)に倒れた時、立ち行かなくなってしまう。

やはり2本の柱は独立して立っているからこそ、1本倒れても、辛うじて持ちこたえ「俺が支えている間に休めー!」とやることが出来るのだ。

寄りかかりあっていたら、共倒れしてしまう。
家族は支え合うものだか、その中でもやはり自立は必要なのである。

自立していると家庭自体が「倒れるぞ~!」という時も、逃げ出すことが出来て一石二鳥だ。

だが、我々は特に看病してほしいわけではないが、お互い体調が悪い時には「悪い」と言うし「大丈夫か」とだけは言う。
その後は特に何にせず、また折りを見て「大丈夫か」と聞き、また放っておく。

放置は良いが「無関心」と思われるのは良くないし自分も嫌だ。
「心配しているポーズ」だけは見せておいた方が良いと思う。

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